ライトノベルは斜め上から(33)――『株式上場を目指して代表取締役お兄ちゃんに就任致しました~妹株式会社』

こんばんは、じんたねです。

今日は休肝日だから、お酒がない。渇くぞ……!

 

さて、本日の作品はコチラ!

  

 

解題――お金がない!

 

 

1.作品概要

「俺の妹になってください!」

 

 

政府の景気対策に基づいてビジネスパートナーを探していた五條田譲は、

渋谷街頭で見かけた西森舞華をスカウトした。

全国のお兄ちゃんを募り、妹を資本として株式を発行し、全国の投資家お兄ちゃんたちに

妹株式を購入してもらう。

そのためには譲にはどうしても妹が必要で、舞華は譲にとって理想的妹だったのだ。

それが『妹株式発行による会社設立に関する法律』に基づいて出来たとある妹株式会社の

代表取締役お兄ちゃんと妹資本の出会いだった。

 

兄と妹と株式と、ちょっとだけビジネスに詳しくなれるかもしれないサクセスストーリーここに開幕!

 

 

2.ヒロイン達は登場するが

本作品、設定は見た通り、とても奇抜になっています。妹を株にする。誤植ではなく、妹を株にします。厳密にいえば、妹役としての他人を株として所有するというかたち。そこには妹として3人のヒロインが登場し、どの彼女たちも、テンプレを押さえつつ可愛らしい振る舞いをします。

 

が、(ラブ)コメディの装いはここまで。

 

本作品、なにより異彩を放っているのは主人公の苦労話と、やや緊張感の欠けた商魂魂にあります。ヒロインたちはそれなりの設定を背負い、各々、妹株式会社で働くのですが、これといってラブコメを中心に展開することはなく、どちらかといえば後景に退きます。

 

「世の中のオタクには妹属性というのを持っている連中がいて、妹株を発行する事で、妹が欲しい全国のオタクから資金を募るのがこの妹株法のキモなんだな。妹は欲しいけど妹がいない、でも妹券を買えば自分にも妹が手に入る。すばらしいじゃないか!」(18ページ)

 

私のようなラブコメ脳は、「ほほう、妹にしたからには、それなりのことをするんでしょうなぁ」なんて下心丸出しで読み進めていったのですが、そういった不健全な予想は裏切られる。(ぐぅ!) その代わりに、物語を駆動させるのは、あれでもかこれでもかと苦労を続ける主人公資本主義辛い・・・そう思っちゃいました。辛い。

 

 

3.商売を始める辛さ

営業活動の一環として、電話を掛けたり、パソコンでDMしたり、レスがあった企業には郵送で資料を送ったり、それでもなしのつぶてでがっかりする。こんなシーンがあるのですが、やけに生々しい。これは、実体験だろうと勘繰ってしまうほどです・・・資本主義、辛い。

 

物語の中盤から、起業したての主人子に味方が現れるのですが、この人物も胡散臭い。どう考えても裏切りますよオーラがぷんぷんしていると思ったんですが、そんなことはなく、1巻の段階では平和に話が進んでいます。

 

終盤では一発逆転、起死回生のイベントで勝負するという話があるのですが、そこでのツッコミも世知辛い。一つのイベントに傾注するよりも、リスクヘッジを行なって、そこが駄目になったときのことを考えろと、主人公は諭されていたりします。

 

そうです、もうお分かりかと思います。

 

本作品は、ラノベのコメディを装った、立身出世の成り上がりストーリーなのです。お金がない!』(1994年)という織田裕二主演のドラマがかつてありましたが、それを彷彿とさせます。はあ、お金ないと辛いよね・・・辛い。

 

主人公は、ものすごく弁が立つわけでもなく、風貌がよいわけでもなく、頭が切れるわけでもなく、先見の明があるわけでもなく、他人より一歩も二歩も遅れているのですが、持ち前の「能天気」さと、折れないメンタルを武器に、じわじわとビジネスを拡大してくのです。

 

 

4.リアリティの届け先

現在、日本は不況で若者に仕事がないと言われています。私の立場では分からないところもありますが、肌感覚としてはそう感じています。

 

本作品、働くとはどういうことか。人から仕事をもらうとはどういうことか。そのイメージを掴むためにも、とても有益だと思います。願わくば、10代、20代の人間に目を通してもらいたい。あるいは30代、40代で、転職やラノベ作家を目指すような人間にも読んで欲しい。また50代、60代のひとには、若者の切迫感を感じ取ってもらうためにも、目を通して欲しい。

 

・・・全年齢対象じゃん。

 

テンプレな記号に隠された、苦労話に耳を傾ける。するととんでもない奥行きが見えてくる。そんな噛めば味わいのある、一風変わったライトノベルです。じんたねイチオシの作品でした。

(文責:じんたね)

 

さて、次回作はコチラ!

 

ライトノベルは斜め上から(32)――『剣と魔法の世界ですが、俺の機械兵器は今日も無敵です。』

こんばんは、ほろ酔い気分のじんたねです。

本日の作品は、こちらになります。 

剣と魔法の世界ですが、俺の機械兵器は今日も無敵です。 (HJ文庫)

剣と魔法の世界ですが、俺の機械兵器は今日も無敵です。 (HJ文庫)

 

 

解題――死ねない凡人、死ねる超人

 

1.作品概要

魔法が使えない? それなら機械兵器で殲滅すればいいだけだろ?
老衰以外では人が死ななくなった世界で唯一、怪我や病で死ぬ可能性がある少年エイジ。
しかも彼は全人類が使える魔法すらも扱えない異端者だった。
そんなエイジが十年前に手に入れたのは、多種多様な機械兵器の作成が可能な《工房》と、その管理者たる狐耳の少女テンコ。
彼女の主に選ばれたエイジは、今日も自作の機械兵器を駆使し、立ちはだかる敵を残らず殲滅する!

 

 

2.死んでもしなない一般市民と、死んだら終わりの主人公

本作品は、いわば「あざとい」設定とキャラがてんこ盛りで、とにかく安心して読めるクオリティだと思います。ちゃんと美少女であったり、剣と魔法であったり、狐耳であったり、ガーターベルトであったり、穿いてないガーターベルトであったり、やたらディテールのおかしいガーターベルトであったり、とにかくガーターベルトな作風です(?)

 

作品の世界観を、そのなかでも強く規定しているのが、ガーターベル・・・じゃない、死んでも蘇ることができるという設定です。細かい話はさておきますが、生き返ることが難なく実現されてしまう。頭をつぶされても、身体を真っ二つにされても、教会で復活するさいの酷い苦痛を度外視すれば、とくにデメリットなく復活します。RPGで死んでも大丈夫な勇者パーティーといった趣です。

 

それとは反対に、俺TUEEEEな主人公は、簡単に死にます。いや死んだら物語が進まないのですが、そういう設定です。だから命をとして戦う姿がカッコイイし、それにヒロインも心動かされるということです。

 

しかし、考えてもみれば、死んでもOKな人生とは、どんな人生なのか。不老不死モノの設定では、生きることが退屈だったり、生命を大事に考えないような、吸血鬼や神様が登場してきますが、それがデフォルトの設定になっている。

 

何もしない

 

それがきっと作者の判断なのではなかったか。死なないからといって、多少は暴力的になったり、生死を軽んじたりするけれども、おおむね普通に暮らし続ける。そんな奇妙なリアリティに支えられている作品です。たしかに、何にもしないかもなぁ、と読みながらしみじみと感じてしまいました。

 

それが証拠に、多くの一般人は、それこそ普通に暮らしています。明日への希望を謳ったり、過去への絶望を吐き捨てたり、といったことはなく。平均寿命が延びた現代日本人が、それ以前にくらべて変わった事をしているか、いや、していない。この事実に鑑みると、ここにはかなりのリアリティと面白さがあると思われます。

 

 

3.手堅い文体

さて、剣と魔法とラブコメとてんこ盛りな作品だと述べましたが、その文体は、どちらかといえば堅いほうに属するでしょう。堅いからといって読みにくことはさらさらなく、過不足なく状況を説明してくれるので、むしろすらすらと読んでしまえます。

 

もちろん俺がTUEEEので、その強さを強調するためにカッコイイ文体をチョイスしているという事情もあると推察していますが、おそらくライトノベルライトノベルと呼ばれる前の、ライトノベルの空気を知っている人間でなければ、こうは書けない。私のような年齢のラノベ読みには、もう、懐かしい気持ちでいっぱいになります。ああ、よかったって。

 

その手堅さは、実は、文体のみならず、作品の「死なない/死ねない」設定の背後を描き出すときに、とても効果的に作用しています。ありていに言えば説得力がありますし、別風に言えば、作者の世界観が透けて見えてくる。

 

作中の人物が『時計仕掛けのオレンジ』という不朽の名作について説明している箇所があります。

 

「そうね。犯罪が出来ない体になったわ。けど、それって善かしら? 自分で選択したわけじゃないのよ。本当はヴァイオレンスを欲しているのに、ルドヴィコ療法のせいで出来ないだけ。奪われただけ。ねえ、これってまるでウルティマラティオ[本作の世界の名前:じんたね注]みたいじゃない? 私たちに選択肢はない。……ええ、優しい世界だわ。けど、それがどうしたの。選択肢を頂戴よ。私は私でいたいのよ。時計じかけなんてまっぴらご免だわ!」(180ページ)

 

ここを読めば、死ねないことがどういう結論になるのか。一般市民とは別のキャラクターに語らせていますが、死ねるということは、やはり、悲しいけれど意味があることなのだということが示されています

 

これは物語に置き換えると、よく分かる。私たちは面白い小説を読むとき、これがずっと終わらなければいいのにと感じる。けど、本当に終わらない小説は、実は、小説ではない。終わりをただ遅延し続ける物語は――人によって感想は異なりますが、とりあえずはじんたねの感じるところで――緊張感を剥奪します。

 

終わらない物語があったとしても、それは終わりに向かっているのだということが、読者には信じられていなければならない。でなければ、何に向けて盛り上がればいいのか、キャラクターたちが苦労しなければならないのか、理解するための位置づけを失ってしまうからです。あのアリストテレスだって物語の定義として、はじめと、中間と、終わりがある、って言っているくらいですし。

 

他にも、死んでも生き返るから、市民を見殺しにしても大丈夫だとうそぶく騎士にむけて、こう言い放っています。

 

……ここで我々が真っ先に逃げては、人は離れていくでしょう。法律や経済よりもまず、信がなければ国はなりたたないのですから! 死んでも生き返るというのであれば、なおのこと命を張って国民を救いなさい!」(201ページ)

 

ここに、命よりも名誉をとれ、という態度をみつけるのは簡単でしょう。もちろん、作者とキャラクターの思想は、イコールではありません。むしろイコールにならないことがほとんどです。

 

ただそれでも、生き長らえるだけよりは、別のなにかを選びとれ。このモチーフが、設定から、キャラクターから、すべてから見え隠れしています。

 

 

4.おわりに

ここからは邪推でしかないですが、きっと不死のキャラクターは、主人公に動かされ、一度は不死をすてるという選択肢を選ぶのではないかと思っています。それが結果として、主人公と対等の立場に立つことになり、それが終盤のドラマになるのではないか。

 

続巻待ってます。あとガーターベルト!!

(文責:じんたね)

 

次回作は妹株です!

 

ライトノベルは斜め上から(31)――『りゅうおうのおしごと!』

こんばんは、じんたねです。

グランブルーファンタジーのファラ(スパッツ)がかわいすぎて、どうしよう。辛い。「ひらひらしても(スパッツだから)大丈夫っすよー」って、どうしよう、可愛いぞ。てか、スパッツって、あのスチームパンクなファンタジーに存在するのか! いいぞもっと存在して!

 

・・・ええと、本日のお題はコチラ!

りゅうおうのおしごと! (GA文庫)

りゅうおうのおしごと! (GA文庫)

 

 

 

解題――熱い美談を語るには

 

 

1.作品概要

玄関を開けると、JSがいた――
「やくそくどおり、弟子にしてもらいにきました!」
16歳にして将棋界の最強タイトル保持者『竜王』となった九頭竜八一の自宅に
押しかけてきたのは、小学三年生の雛鶴あい。きゅうさい。
「え? ……弟子? え?」
「……おぼえてません?」
憶えてなかったが始まってしまったJSとの同居生活。ストレートなあいの情熱に、
八一も失いかけていた熱いモノを取り戻していく――

『のうりん』の白鳥士郎最新作! 監修に関西若手棋士ユニット『西遊棋』を迎え、
最強の布陣で贈るガチ将棋押しかけ内弟子コメディ、今世紀最強の熱さでこれより対局開始!!
※電子版は文庫版と一部異なる場合がありますので、あらかじめご了承ください

プロ棋士や書店員から絶賛の声、続々!!

軽快な筆致ながら、情熱漲る若き竜王女流棋士志願のひたむきな少女との交流を通じて、
勝負の厳しさそして将棋の魅力を伝える斬新な作品が誕生したことを嬉しく思う。(加藤一二三九段)

萌えまくる将棋界! 棋士がみんな変態じゃないかー!
弟子をとるなら、素直で可愛い料理のできる小学3年生かなー。
笑いながら読んじゃいました、最高です!!(竹内雄悟四段〈西遊棋〉)

ライトノベル』というフィールドでは中々扱いが難しい
「将棋」というテーマでこれほどの演出が出来るとは想像以上だった。
緊迫感あふれる対局シーンはもちろん凄いが、笑いあり、感動ありの白鳥先生らしい
エンタメ作品に仕上げているのは見事としか言いようがない。感服です!(アニメイト仙台 遠藤)

「ししょうの玉・・・すっごく固い・・・」表紙が女子小学生で1ページ目がコレ。
出版界に激震が走るほどの印刷ミスを目の当たりにしたかと勘違いしてしまう、そんなつかみは必見です!!
全くブレない白鳥士郎先生の新作、是非とも読んでみてください!!(とらのあな 商業誌バイヤー)

JS弟子は超可愛いくて悶絶必至だし、ほかのキャラクターも個性豊かで飽きがこない。
ぶっ飛んだコメディを繰り広げるかと思えば、リアル知識に裏打ちされた臨場感満載のシリアルな場面も……。
これぞ……白鳥士郎先生です!(ゲーマーズ 末原)

将棋系幼女の時代到来!? もう、最高すぎておもらしもんですよ!
白鳥先生の紡ぐ安定のギャグと熱い対局、そしてしらび先生の描く美少(幼)女たち。
是非一度、読んで欲しい1冊です!(メロンブックス 服部)
出版社からのコメント
プロ棋士や書店員から絶賛の声、続々!!

●軽快な筆致ながら、情熱漲る若き竜王女流棋士志願のひたむきな少女との交流を通じて、
勝負の厳しさそして将棋の魅力を伝える斬新な作品が誕生したことを嬉しく思う。(加藤一二三九段)

●萌えまくる将棋界! 棋士がみんな変態じゃないかー!
弟子をとるなら、素直で可愛い料理のできる小学3年生かなー。
笑いながら読んじゃいました、最高です!!(竹内雄悟四段〈西遊棋〉)

●ロリ王八一(あ、ちゃうちゃう竜王や)と天才JSあいの笑いと感動のこの物語は
将棋の面白さを感じるだけでなく思考のスピード感が凄い! そして、一気に読んでしまえる作品です。
関西が舞台で、将棋の魅力満載とあっては当然、うちのエリアではめちゃめちゃ押してます! ! (アニメイト三宮 馬郡)

●『ライトノベル』というフィールドでは中々扱いが難しい
「将棋」というテーマでこれほどの演出が出来るとは想像以上だった。
緊迫感あふれる対局シーンはもちろん凄いが、笑いあり、感動ありの白鳥先生らしい
エンタメ作品に仕上げているのは見事としか言いようがない。感服です! (アニメイト仙台 遠藤)

●「ししょうの玉・・・すっごく固い・・・」表紙が女子小学生で1ページ目がコレ。
出版界に激震が走るほどの印刷ミスを目の当たりにしたかと勘違いしてしまう、そんなつかみは必見です!!
全くブレない白鳥士郎先生の新作、是非とも読んでみてください!!(とらのあな 商業誌バイヤー)

●JS弟子は超可愛いくて悶絶必至だし、ほかのキャラクターも個性豊かで飽きがこない。
ぶっ飛んだコメディを繰り広げるかと思えば、リアル知識に裏打ちされた臨場感満載のシリアルな場面も……。
これぞ……白鳥士郎先生です! (ゲーマーズ 末原)

●将棋系幼女の時代到来!? もう、最高すぎておもらしもんですよ!
白鳥先生の紡ぐ安定のギャグと熱い対局、そしてしらび先生の描く美少(幼)女たち。
是非一度、読んで欲しい1冊です! (メロンブックス 服部)

 

 

2.職業人・専門人がテーマ

最近、普段はスポットライトの当たらない世界を題材にとりこんだライトノベル、というよりは、いつの時代もどの書物にも、そういった手法が取り入れられてきました。

有名なスポーツの類のみならず、ややマイナーなものを取り入れて「へえ、こんな世界になっているんだ」というマルコポーロ東方見聞録よろしく、元々の物語を楽しみつつ、知的好奇心を満たすことの出来るものが。

 

本作品もその例外にはもれません。

 

今でこそ将棋はニコニコ動画人工知能との対決もあって注目されてきましたが、かつてはマイナー中のマイナー。奨励会という言葉を知っている人間も少ない時代があったのですが、今では穴熊や振り飛車なんて言葉を使っても、あまりビックリされません。個人的には藤井システムが好きなんですが、もう世代代わりしてしまった感がありますね。

 

これはマイナーであればいい、というわけでもない。あまりにマイナーすぎると共感という橋渡しがとても困難になりますし、逆にメジャー過ぎたら、いまさらみんな知っていることを開陳しても面白くならない。この絶妙なところをつくセンスが必要になりますし、ドマイナーでも「俺は面白いと思ってんだよ!」という読み手を殺しにかかる腕力が必要になってきます。

 

そういう意味では、本作品、きわめてよいタイミングで時流を呼んで、しかもかなり取材されていることが伺えるディティールの凝った物語が、グイグイと読ませてきます

 

 

3.面白い作品にはわけがある

でも、それだけでライトノベルが面白くなるわけありません。それを支えるセオリーが当然、あるわけですね。

 

本作品、プロットコントロールがきれいに行き届いています。最近読んだものでは『たま高』がそうだったのですが、セクションとそこで触れるべき情報のバランスがとても読みやすくなっています。本作中に登場した、「36歩」と読み上げるだけで将棋を差しあうシーンのごとく、ページ数を読み上げるだけで、起承転結のどの部分にあたるのかを言い当てられます。おそらく書き手は、とても抑制のできるかたなのではないかと、いろいろと邪推が捗りますが、それはそれ。

 

ステレオタイプやセオリーは、決まっているだけに、退屈に思われる危険性があることは判ります。私自身、型通り、というのは苦手だったりもします。ですが、型がなければ、型破りもできず、型なしになるだけ。これは将棋でも定石がたくさん積み重ねられていて、それを知っていなければ話にならないのと同じ。

 

ライトノベルという領域に関しては、どの程度の型があるのか判じかねるところですが、それでも本作品の整ったプロットラインは、それを眺めるだけでも面白い。たしかなプロの息遣いを感じました。

 

 

4.美談はいかにしてニッチになってしまったのか、あるいはその終焉

私が本作品で注目したいことは2つあります。それは美談の語られ方と、主人公のモノローグの話し相手、これです。

 

美談から話をしましょう。

 

美談が語られにくい世の中――私はそう捉えています。

もちろん美談がないわけじゃない。ゴミ拾いに精を出したり、人知れずこっそりと何十年もプレゼントを送り続けたり、美談ならむしろそこら中に転がっている。

 

でも、これ、消費されるための美談なんじゃないかって。美談に触れて「ああすごい、いいなあ、こんな素敵な人がいる。心が洗われる」とはなるものの、じゃあ、明日からキミ、それ頑張ろうね、とは決してならない。「ああ面白かった」と「泣ける映画」(この宣伝文句ほど品がないものもないと思いますが)を見て終わることに似ています。それを逆に、「キレイゴト」だと嘲笑して、距離を取ろうとする動きも、同時に成立しています。

 

どちらにしても真正面から美談が語られることを歓迎してはいません消費して無害化して他人事にするか、嘲笑して揶揄して貶めるか、になりがちだからです。

 

だから美談は語られた途端、消費の対象になってしまう。こんななか、消費されない美談を語ることは難しく、美談が語られた直後から、消え去る運命にある。

 

ですが、場所を創りだして、美談を語る技術がある。そう、物語を紡ぐことです。最初からフィクションであると予防線を張れば、物語を消費させるなかで、美談が消費されることを回避できる可能性がある。わざと読ませて、本音を潜ませる、とでもいえばいいのでしょうか。しかもそのフィクションの設定が、読者に馴染みが薄ければ薄いほど、隠しやすくなります。

 

本作品、棋界を扱っています。

 

将棋が知られるようになったとはいえ、現代の徒弟制よろしく、奨励会のシステムを知悉している人間は少ない。しかも、棋士という人間の生活については、なおさら不明です。羽生善治は凄い人だ、という共通認識はあっても、彼がどのようなライフスタイルを送ってきて、今にいたっているのかは見えない部分がたくさんある。

 

だから、棋界を扱っている本作品は、美談を語るに適切なんです

 

実際、棋界を知っている人であれば「ああ、あの話か」とすでに消費されていしまっているが、そうではない人には「ええ、そうなの」という逸話が、たくさん散りばめられています。

 

たかがボードゲーム、されどボードゲーム。人生がゲームであるという、主と副の逆転した格言が多く引用されています

 

それが、先ほどの述べたように美談を消費したり揶揄したりすることを回避させ、読者にそのまま届けられている。真剣な勝負の場面が、ほとんど棋譜もなく展開され、読み手を引きずり込む。強くなるために恋人も友人も必要ない。そんなセリフがリアリティを持って迫ってくる。

棋譜を並べるだけなら、将棋しらないひとは面白くないし、新聞の将棋コーナーとあまり変わらなくなっちゃうので、そりゃまあ読み物としてはそうしかないんですが・・・そういうラノベ的事情を加味しても、という話)

 

それは美談を美談としてそのまま語る技術――すなわち、美談の場所を、棋界という半フィクションに溶け込ませているからではないかと思っています。(本当に友達がいなかったり、朝から晩まで将棋ばっかりしていても強くなるとは限らず、また、女性のナンパばっかりしながら棋聖タイトル取るような人もいます)

 

 

4.「今、誰に説明したの?」

あと1つ。主人公の距離をとった地の文が、本作品の、魅力を引き立てています。

 

 姉弟子の実力をもってすれば全冠制覇も夢じゃないんだろうが、制度上それは不可能になっている。理由はそのうち語ります。お楽しみに。(22頁)

 

ここ。最初読んだ時、えらいびっくりしました。「今、誰に説明したの?」って思ったから。その予言通り、ちゃーんと物語の終盤で、このわずかな伏線は回収されるのですが、「理由はそのうち語ります」というのはここで理由をキープして黙っているという自意識が主人公にはあるからで、かつ「お楽しみに」というのは、誰の楽しみかといえば、それはもちろん読者のことです。

 

ここまで分かりやすいものは、その後、見られなくなりますが、ことあるごとに展開されるコミカルパートの会話は、そこに没入しつつも一歩引いてみている自分、という構図をなぞり続けます。

 

その適切な距離感というべきか。没入を避ける冷静なツッコミというべきか。それが作品に、得も言われぬ妙味をもたらしています。ぶっちゃけ、羨ましい。

  

この距離感と美談とが、不思議なコラボレーションを発揮しているのが、本作品。手に取ってまったく損はさせないと断言できる作品です。一読されてみてはいかがでしょうか。

(文責:じんたね)

 

次回作は、ツガワ先生!

剣と魔法の世界ですが、俺の機械兵器は今日も無敵です。 (HJ文庫)

剣と魔法の世界ですが、俺の機械兵器は今日も無敵です。 (HJ文庫)

 

 

ライトノベルは斜め上から(30)――『世界で2番目におもしろいライトノベル』

こんばんは、じんたねです。

ハロウィーンといっても、日本酒を飲んでいるだけですね。。。

 

さて本日のお題はコチラ!

世界で2番目におもしろいライトノベル。 (ダッシュエックス文庫)
 

 

 

解題――あなたに贈る、鎮魂歌

 

 

1.作品概要

内容紹介

あらゆるラノベ的災難やイベントに巻き込まれ、どんな凡人でも「主人公」に変えてしまう、英雄係数(メサイアモジュール)。

「祭」は、世界一影の薄い高校生だったが、 最終回を終えて、現世に戻ってきた元主人公たち(魔法少女やら女勇者やら学園異能の覇者やら)の策略により、英雄係数をMAXまで上げてしまった! !

ラノベのあるあるやパロディが満載のファンタジーコメディ。

 

内容(「BOOK」データベースより)

認知度海抜0mを自負する高校生「祭」は、ある日“エンディング後の主人公”と名乗る4人と出会う。非日常に飽き飽きした彼女たちは、平凡な日常を取り戻すため、どんな凡人でも主人公に変えてしまう“英雄係数”をもらってくれと、祭に頼む。最初は全力で断る祭だったが、“元魔法少女”の「夏恋」の危機を救う為、4人全員の英雄係数を引き受けた瞬間…世界が一変!“魔法少女”がヒロインに、“学園異能の覇者”は悪友に、“異世界の救世主”は妹に、“伝説の勇者”は担任に。なんと祭は、最強の元主人公たちを脇役に従え、世界を守るラノベ主人公になってしまった!ライトノベルへの愛と憎しみに満ちた、泣けて笑える終幕英雄“エンドロール”ラブコメ、新発売!!

 

 

2.ラノベめった切り

本作品を開いてみて、まず目に飛び込んでくるのは、そのライトノベルの「お約束」をバシバシ指摘する主人公のモノローグオンパレードです。あるわあるわ。ビックリするくらい続いて、読みながら「大丈夫か?」と心配してしまうほど。

 

1つずつ引用して指摘することはしませんが、「そうそう」「あるある」といったネタがふんだんに盛り込まれていて、それを作者自身が、作中内でツッコミを入れるという構図が、しばらく続きます。

 

作品の宣伝文句に『※この作品は、ライトノベル界に喧嘩を売っています』とあるだけあって、いわゆる90年代ファンタジーから現代異世界ものへの系譜の押さえ方は、中々に、辛辣です。

 

じゃあ、この作品はライトノベルに、その売り言葉のように喧嘩を売っているのか。それは全然違います。昔から言うではありませんか、ケンカするほど仲がいいって。この諺の解釈には諸説ありますが、一つの解釈として、ケンカするほどに相手のことを長所も短所も含めて知っていなければ、それだけ仲良くなければ、ケンカなんかできないとい意味があります。

 

本作品、ライトノベルのお約束を自分で書き連ねつつ、それに自らツッコミを入れている。ライトノベルを愛していなければ、こんなことはできません。もっと言えば、自分で書いたものに自分でツッコミを入れている。誰も傷つけていません。このあたりにも、雑駁な文体で書かれているようで、よく神経が配られていることが分かるでしょう。

 

 

3.ツッコミを回避している部分から見えるもの

さて、かといってライトノベルのお約束の「すべて」にツッコミを入れていては、ストーリーは前に進みません。「お約束じゃん」と言ってしまったら、キャラクターたちが真面目に行動する足場を奪い取ってしまうからです。あざとく執拗にツッコミを入れているようにみえて、よく読んでみれば、細かい部分では「お約束」でもツッコミを免れている部分があり、それがちゃんと、ストーリーの核になっていたりします

 

ここは具体的にあげておきましょう。

 

・主人公が冴えない男子高校生であり、ワナビであること。

・他作品を読んで、その感想を辛辣な言葉でブログに書いていること。

・とあるライトノベル作品に心打たれ、それをきっかけにしてワナビになったこと。

 ・美女・美男の転校に、クラスメイトがわき立つこと。

・お昼ごはんをめぐる購買部での買い物競争。

・主人公が『秘蔵のエッチ本』を所持していること。

星新一の言葉が、キーとなる場面で使われていること。

 

 

他にもありますが、おおむね、このあたりでしょう。これらのツッコミを免れた現象を、うすらボンヤリと眺めてみてください。とりわけ20代後半から30代にかけての読者のみなさま。

 

・・・分かりました、か?

 

時代の香りがしてくると思いません? まだライトノベルが今ほどメジャーではなくて、趣味は読書ですと親しい人間にも苦しい説明をしなければならなかった頃のライトノベル現代の若者にとっては、おそらく『秘蔵のエッチ本』は、同人誌あるいはネット上の動画であって、ベッドの下に隠すのは、もはや様式美といっていいでしょう。美女美男にわきたつ教室賑わうお昼の購買部というのも、ここまでアイドルやコンビニが一般になった現在、あまりリアルな現象ではない。様式美なんですね。

 

つまり、この様式美を共感し、読み込める世代というのが、本作品のターゲットとして設定されており、それは現役の中学生・高校生・大学生、ではないんです。

 

ワナビとして書き続ける活動も、社会人になったあたりから、その切迫性が変わってきます。学生の時代であれば趣味の延長であっても、社会人になって続けることは、大変苦しい。評価されないことへの重課が、その身を憔悴させるからです。

 

若い頃、ライトノベルに心惹かれ、自分でも筆をとるようになり、そして小説家を目指す人たち。この世代の人間に向けて、本作品は書かれています。これは間違いない。

 

 

4.売れなくてもいいじゃないか

そして、そのメッセージは、とてもまっすぐで純粋です。孤独にパソコンのまえでキーボードを叩き、これといって評価されないことを経験し続け、他人に嫉妬し、己の能力を卑下・過信し、迷いの渦に飲み込まれたことのある人なら、涙なしには読めない。

 

それは物語の後半部、主人公がこう語っていることに集約されています。

 

「そもそも青春てもん自体がろくでもないんだ。中高生のバイブル星新一も言ってたよ。『青春はもともと暗く不器用なものなので、明るくスイスイしたものは商業主義が作りあげた虚像にすぎない』って。なのに、かけがえない時間だなんて大人は青春をもてはやす。過度な礼賛、神格化。本当は青春なんて人生で一番苦々しい時期なのに、それを甘酸っぱいとか味覚オンチかよ」

 受験。将来への不安。学校での人間関係。肥大化する自意識。

 未熟な器になみなみと大人の事情を流しこまれてみんな溺れそうなんだ。(216ページ)

 

 

この溺れそうな自意識、ライトノベル作家になれるに違いない、でもなれない、というものが隠されていることを見抜くのは、さほど難しい話ではないでしょう。これらの苦しい青春の「痛み止め」(217ページ)こそが、マンガでありアニメであり、ライトノベルであると断言されているのですから。

 

クライマックス。

次の言葉は、本作品でもっとも感動するものだと、私は考えています。

 

ラノベ作家になるのも諦めた。何もかも否定したかったんだよ。

ライトノベルへの情熱も。だからムキになってラノベ叩きをくり返した。

現実が怖かったんだよ。だってそいつに、俺の信じる最強のヒーローが殺されたんだ。(228ページ)

 

 

主人公が本音を吐露することで、読者に向けてメッセージを伝えていることは明々白々。ライトノベルなんて飽きた、どれもこれもテンプレでつまらない、女の子が可愛ければいいんだろ、そんな暗い言葉が脳裏をよぎる。情熱が裏切られたとき、それは安易に憎悪へと転化します。本作品は、そんな心を持った人に向けた、鎮魂歌なのです。

 

もう1つ、ぜひ読んでもらいたい台詞があるのですが、それは敢えて引用しないことにしましょう。ぜひ、本作品を手に取って、確認して欲しいからです。

 

とはいえ、何にも言わないのは「なんじゃそら」なので、簡単な小話をしておきます。昔むかし、ニーチェという哲学者がいました。彼は『ツァラトゥストラはかく語りき』という本を書きます。自分が書きあげたときは世紀の大作だ、絶対に評価されると、自信満々だったのですが、出版社からは軒並み断られます。仕方なく彼は自費出版して、ごく親しい人間に配ったのだそうで。ツァラトゥストラの第四部は40部ほどしか刷られず、日の目を見ることはありませんでした。

 

が。

 

その作品を古本屋で手にして、衝撃を受けた人がいます(ごく親しい人間が売ったかもしれないという事実がありますが、それはそれ)。あのショーペハウアーです。ニーチェの言葉に感銘を受けて、後世に名を残す哲学者になったことは、言うまでもないでしょう。

 

世に認められること、あるいは誉めそやされること。これは作品の内在的価値と連動することがありますが、そうでないこともあります。逆もまたしかりです。何が売れるのかは、分からないから。ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』も出版社に引き取ってもらえず、さんざん苦労しました。

 

そういうことが書いてあります。ぜひ、作者の言葉を読んで、その力強さを感じて欲しいと思っています。

 

『※この作品は、ライトノベル界に喧嘩を売っています』――だったら読んでみるか、と考えて本作品を手にする人々に向けて、まさに本作品は書かれている。看板に偽りなしの傑作でしょう。

 

 

5.ライトノベルは誰が読むのか

最後に補足的なことがらをいくつか。本作品は、ライトノベル作家を志したあるいは憧れたような人々に向けた鎮魂歌である、そう私は言いました。

 

ただ、ここには強烈な逆説があります

 

本作品、商業作品として成功しているんです。売れ行きは今後の動向をみないと分かりませんが、少なくとも、ネット掲載のまま埋もれるようなことはなかった。スマップが世界に一つだけの花という歌で感動を呼びましたが、そりゃ、スマップのような超ハイスペックな個人がそういうのなら分かる。私のようになんの取り柄もないような人間が「一つだけの花」なんて言われても、というセリフを吐いた知人がいます

 

ははあ、それはそうだけど、なんだかなぁ、というのが当時の私の感想でした。

 

本作品は、ライトノベルのお約束へのツッコミからスタートするため、メインストーリーに移行するまで、かなりの紙幅を割いています。そこがなければ、200ページにも満たない分量になります。

 

これほどまでに前置きをしないと、ラッキースケベも、冴えない主人公も、やや難のあるツンデレヒロインとのやり取りも扱えないのか。ライトノベルの飽和が、まことしやかにささやかれていますが、それは良作が埋もれてしまうという問題もさることながら、こうした読み物への没入を妨げてしまう、反省作用がもたらすことの困難さではないかと思っています。つい他作品と比較して、引いて読んで、ああ見たことがある、と感情移入することを避けてしまう。

 

それと戦い、ツッコミから王道のラノベストーリーにまで引っ張り込んだ作者の力量はさすがとしか言いようがないのですが、その悪戦苦闘を生み出している状況に鑑みると、中々に、苦しいものがあります。

 

さて、これから作者は、どう戦っていくのか。その背中を追いかけながら、力及ばずとも力になろうと思った、おススメの一冊でした。

(文責:じんたね)

 

次回作はコチラです!

りゅうおうのおしごと! (GA文庫)

りゅうおうのおしごと! (GA文庫)

 

 

ライトノベルは斜め上から(29)――『ミミズクと夜の王』

こんばんは、じんたねです。

もうすでに眠たいです・・・。

 

さて、本日のお題はコチラ! 

 

 

解題――語るに落ちない

 

 

1.作品概要

魔物のはびこる夜の森に、一人の少女が訪れる。額には「332」の焼き印、両手両足には外されることのない鎖、自らをミミズクと名乗る少女は、美しき魔物の王にその身を差し出す。願いはたった、一つだけ。「あたしのこと、食べてくれませんかぁ」死にたがりやのミミズクと、人間嫌いの夜の王。全ての始まりは、美しい月夜だった。―それは、絶望の果てからはじまる小さな少女の崩壊と再生の物語。第13回電撃小説大賞「大賞」受賞作、登場。

 

 

2.絵本の世界

背景や詳細な設定がほとんどありません。むかしむかしあるところに、という語りだしで始まっても違和感がまったくない。かつてどこかにいた娘が、人間になるというプロットラインは、絵本やおとぎ話を連想させます

 

無駄がないだけに、静か静かなだけに音がする音がするだけで心地いい。読みながら、ずうっと静謐な空間へと沈み込んでいくような、そんな気持ちになります。

 

絵本のような世界観だとしても、これは絵本のようにイラストがほとんど使われていない。イラストが使われないことが、読者の想像力を駆動させ、その魅力を引き出していることに一役買っている。

 

 

3.設定のむつかしさ

こういった作品を読むにつけて、設定が何のために必要なのかということを、考えさせられます。もちろん、結論から言ってしまえば、伝えたいことを伝えるために過少・過剰にならないものが求められる、ということにはなります。

 

「過剰・過少にならない」――言うは易し行うは難しの典型例のようなものです。

 

自分が伝えたいことを、あらかじめ明確にしていることが必要になりますが、それは多くの場合、語りだしてしまってから、あとから追いかけ気づき反省しながら、それは自覚化されます。別段、小説に限った話ではない。やりたいことが最初から明確にある、というのはかなり珍しいケースでしょう。運がいい、あるいは、それまでに試行錯誤を積み重ねてきた、という事でもない限り、普通は、最初から伝えたいことなんてハッキリしていません。

 

文章に無駄がない。設定に不必要なものがない、というのは読んでいて本当に心地よい。

 

寸分たがわぬ切れ味、と言えばいいのでしょうか。機能美といえばいいのでしょうか。そんな練りに寝られたものを読むと、こちらの贅肉まで落ちてしまうような気分になります。本作品は、その意味で、とても気持ちがいい内容になっています。

 

 

4.人間に「なる」というテーマ

無駄がなく、背景や設定について多くを語らないので、さまざまな解釈が可能なのですが、おそらくおおむね的を射ていると思われますが、本作品は、人間に「なる」というテーマを扱っているのではないでしょうか

 

主人公の女の子は、奴隷として育ち、およそ人間らしい扱いを受けずに育ってきます。そんな彼女が最初に受け入れられたのば夜の王という魔物の住まう場所。そこですくすくと育って、と言う風にはもちろんなりません。すったもんだがあって、いったんは人間の手に引き取られます。そこでしばらく人間らしい振る舞いを身につけ、そしてそのまますくすくと育って、という風にはもちろんなりません。また一悶着あって、彼女は夜の王のもとへと帰っていきます。

 

所属する場所で考えれば、彼女は「魔物→人間→魔物」と、どちらかといえば人間になるというより魔物に近づく風にも見えます。

 

ですが彼女が『ありがとう』という言葉を覚え、涙したり、人間らしい言葉遣いを発揮するのは、なによりも魔物のもとで、なのです。

 

どうしてか。

 

それは人間に「なる」という現象が、教育=想起、という扱いになっているからです。言い換えれば、彼女はもともと人間だったにもかかわらず、人間としてあれなかった=奴隷でしかなかった、状態にあった。

 

それが人間のもとを離れ、魔物と一緒にいることで、自分が人間であったことを思い出し始める。それから、しばらく人間のもとに引き取られている間、再び、彼女から人間であることが忘却させられてしまう。人間の間にありながら人間であることを忘れるという、よく考えれば、かなりシニカルな状況が描かれます。

 

そして最後に、夜の王のところへ戻る決意をしたとき、一緒に居たい人といるという、極めて人間らしい感情を、自分のなかに認めるようになるのです。ストーリーの要所要所で、彼女をモチベイトするのは、失われてしまった過去の記憶の想起&再解釈、なのも示唆的です。

 

幼女×人外、というよくあるモチーフと言ってしまえばそれまでかもしれませんが、人間であることを強調するのに最も効果的な方法は、人間でないことを対比させることです。その対比が、きわめて効果的に使われています。こう言ってよければ、本作品最大の魅力のひとつは、人間中心主義にあるでしょう。

 

私だったらこう描く、という人間観がそこにはありました。その意味で、じんたねにとっては、いたく静謐かつ刺激的な小説です。かまびすしい毎日に疲れたかたには、おススメの一冊です

(文責:じんたね)

 

次回はコチラを予定しています。

世界で2番目におもしろいライトノベル。 (ダッシュエックス文庫)
 

 

ライトノベルは斜め上から(28)――『All You Need Is Kill』

こんばんは、じんたねです。

今夜はやや感傷的な書きぶりになるかもしれませんが、取り上げる作品はコチラ!

All You Need Is Kill (集英社スーパーダッシュ文庫)

All You Need Is Kill (集英社スーパーダッシュ文庫)

 

 

 

解題――ヒロインを助けたいと思ったことはあるか

 

 

1.作品概要

「出撃なんて、実力試験みたいなもんじゃない?」敵弾が体を貫いた瞬間、キリヤ・ケイジは出撃前日に戻っていた。トーキョーのはるか南方、コトイウシと呼ばれる島の激戦区。寄せ集め部隊は敗北必至の激戦を繰り返す。出撃。戦死。出撃。戦死―死すら日常になる毎日。ループが百五十八回を数えたとき、煙たなびく戦場でケイジはひとりの女性と再会する…。期待の新鋭が放つ、切なく不思議なSFアクション。はたして、絶望的な戦況を覆し、まだ見ぬ明日へ脱出することはできるのか。

 

 

2.懐かしい

本作品は――と始めるのがスタイルになりつつありますが、今日は昔話から

 

本作品を読んだとき、とても懐かしい記憶が蘇ってきました。かつて「セカイ系」と言われるカテゴリーが流行っていた時代。その空気をたくさん吸いながら、私は育っていきました。

 

どうしても結ばれるべき2人が結ばれない。それを世界が許さない。

 

この感覚がとても切なくて、「セカイ系」とよばれる作品に触れては、「どうしたら2人を救うことができたのか」、そればっかり考えている自分がいました

 

本作品には、そのエッセンスが十二分に込められていて、昨日、あらためて読み返しながら胸が締め付けられるような気持ちになりました。どうしたら2人は助けられたのか。

 

あとがきにあるように、本作品はバッドエンドではないでしょう。きわめて妥当なかたちで、2人の生き方が示されている。だけど、やっぱり、それは切ない――というか、嫌だ。これが今の私のモチベーションの原点にあるのだと、再確認させられました。

 

 

3.さて、どう助けるのか

じゃあ、じんたねだったらどうするのか。

 

作品内でも丁寧にロジックが積み重ねられていて、なかなかタイムループの逃げ道が見つからない。まず基地を脱走しようとしても、民間人と一緒に殺されてしまう。2人が生きたままタイムループの元凶を断とうとしてもそれは成功しない。ようやくループから2人で抜け出せたと思った直後、それに失敗したときの主人公の悔しがる姿は、とても悲しいものでした。

 

イムループのメカニズムを解明して、事前に何とかする、というのも塞がれています。ヒロインはすでに精密検査を受けており、その原因は不明であると診断されているからです。限られた時間内に、たとえタイムループしていることを信じてもらえたとしても、それを解明する技術はない、と逃げ道が塞がれてしまっています。

 

そして作品内では、タイムループの原因となっている主人公とヒロイン、どちらかが死ななければならないという流れになり、最後は決闘することに。結論は言わずもがなでしょう。

 

じんたねはずっと考えました。どうやったら助けられるのか。作品の感傷的な雰囲気に呑まれてはいけない。きっと方法があるはずだ。

 

――1つだけ、可能性があります。

 

2人の人物が、お互いにタイムループを経験し、その経験値を蓄積したまま接触を果たしているという事実です。

 

小説内では、一人称視点の変更で説明しようとしていますが、ヒロインのループにあるときは主人公が、主人公のループにあるときはヒロインが、それぞれ記憶をリセットされている。どちらかがメインでループを繰り返したとしても、2人の関係は縮まりません。片方の記憶は消え、関係性も一からスタートしなければならないからです。

 

だが、ここはよく考えてみる必要がある。

 

お互いにループを繰り返し、その成果で、規格外の戦闘力を身につけている。これはつまり、2人のループが、同時発生し得ることを意味します。本当にいずれか一方だけのループしか発生しないのであれば、ヒロインと主人公が「両方共」規格外にはなれないはずです。だったらループを定期的に交互に繰り返すことで、コツコツと貯金するように、お互いの記憶の蓄積が進むのではないか。

 

経験値の蓄積が進むのならば、戦場でも違う戦い方ができないだろうか。もっと圧倒的に敵をほふり、次の手を考える時間を稼げないか。

 

作品内では、その可能性はないと否定されていますが、そう断言するのはヒロインの言葉だけです。裏づけはない。だったら、少なくとも、それを確認してからでもいい。最終的な結論に一足飛びすることはない。

 

 

4.なら助けられるのか

助けられません。

 

いったん文字となって作品として流通してしまったものは、もうそれがすべてだからです。なにより、私の作品ではありませんし、そんなつまらない結論を採用しては、せっかくの面白さが台無しになってしまう。二次創作という手段ももちろんあり得ますが、それはすでに私の解釈を通じた別作品です。私が助けたいのは、まさにこの作品にこそ登場する、あの2人なのですから。

 

ここまで考えると、気付かされます。

 

なんとかして2人を助けたいと思っている時点で、すでに作品にハマってしまっている。真剣になってどうにかしようと思わされている。まんまとやられたなぁ、というのが率直な感想でした。

 

専門知識を持っていたり、ライトノベルに馴染んでない人にとって、このタイムループという設定は荒っぽいものにうつるかもしれません。ただ、それでも精緻であれば面白くなるというわけじゃない。逆に、荒唐無稽であればエンターテイメントになるわけでもない。書かれた文字の背後から、何かを感じた、というそれが重要になるのだと思っています。

 

その意味で、本作品は間違いなく、私にとって素晴らしいものでした。これからも読み返し、あの雰囲気を思い出しながら、自分のモチベーションを確認することのできる、珠玉の一冊です。

(文責:じんたね)

 

さてさて、次回作はコチラを予定しています。

 

ライトノベルは斜め上から(27)――『美少年探偵団』その2

こんにちは、じんたねです。

前回、以下の作品をとりあげましたが、「具体的なキャラクターの話をしてよ」と言われたので、補足的に書きます。

 

 

基本線は、前回のウォーホール的である、という立場のままです。本作品には、多くのキャラクターが登場するのですが、それらをまとめる主人公に注目して、今日のお話にしようと思います。

jintanenoki.hatenablog.com

 

 

1.主人公は謎めいている

本作品(に限らず)、主人公は多くを語りません。物語の冒頭では、「なんでこんなこと言うの?」というモノローグや仕草がまぜられていて、それが話の後半やラストに向けて、明らかになります。それは多くの場合「異能」とも呼べるもので、実はできるヤツだけど、それを隠している、というパターンをとります。

 

主人公はのび太である理論、から考えましょう。

 

物語の2つの作り方として、主人公を無能にするか、あるいは有能にするかのパターンに大別できるという話です。そして最近は、のび太のパターンが多い。つまり無能なんですね。もちろんこんなに簡単には分けられませんが、分析のための概念というのは、シンプルなほうが分かりやすいから、2つに分けられています。

 

さて、本作品はどうかといえば、明らかにのび太探偵団の事件解決にさいして、(物語の途中までは)まったくもって無能です。なすがままなされるがまま。主人公は何もしません。それは周囲の外連味のあるキャラクターたちを浮かび上がらせるための手法でもあります。

 

みんなが強いと、どう強いのか分からないけれど、主人公が弱いと、みんながどう強いのか分かる。違う言い方をすれば、ワトソン君という一般人がいるから、ホームズというすごキャラのすごさが分かる。

 

で、それを物語の途中でひっくり返して、のび太からジャイアンへと昇格させています。

 

主人公もまた少年探偵団に相応しい、「異能」の持ち主であることが判明し始めた頃から、ストーリーはその「異能」を基軸に移し始めます。読まれれば気づくかと思いますが、その頃から、探偵団のキャラは薄くなります。

 

いや、薄く感じられるようになります。これは新しいライバルの登場によって、主人公が覚醒しなければならないというプロットのお約束を、丁寧に抑えているからこそ、なのですが、そうしてのび太ジャイアンの両方を味わえるように、西尾さんの作品は作られていることが多い。エンターテイメントの鑑と言ってもいいかもしれません。

 

 

2.主人公は何を考えているのか

のび太としてひとまずは登場する主人公ですが、その性格にも特徴があります。ウォーホール的、と言えます。

 

最初に結論から言ってしまいましょう――主人公は、周囲に溶け込もうとするよりも、周囲で起きている事態を、一方上から俯瞰しようとばかりする。それは端的に、モノローグの言葉遣いにあらわれている。

 

今回も具体的に書きましょう。

 

 駄目だ。無駄って言うか、駄目だ。(84ページ)

 

これは探偵団のとある提案に対して、主人公が言葉にすることなく、心の中で評価している場面です。駄目と無駄という「駄」が共通している単語を並べて、言葉遊びをしつつ、彼らを俯瞰していることが分かります。無駄というよりも、もっとマイナスの提案だから、それは駄目だ、と。

 

他にも、こういった記述がチラホラと散見されます。相手の言っていることを単語1つでまとめ、「というよりは○○だ」と、言葉遊びで言い換える。そして言い換えられた方が、理に適っている。常にメタ視点にあろうとして、そこから一歩を踏み込まない。ベタベタな関係を作ろうとしない。これが主人公の行動のロジックになっています。

 

それは逆から言えば、感情や思考をダイレクトに共有しようとすることに、強い抵抗感を持っていることの言い換えでもあります。

 

 恥ずかしい。

 つーかダサい。

 男の子の前で泣いてしまうなんて。(73ページ)

  

泣いている理由を主人公は――いい理由で泣いているのに――誤魔化そうとします。私自身、この箇所を読んでいて「えー、ちゃんと言えばいいじゃん」と主人公にツッコミを入れました。どうして距離とるんだよお前って。

 

ウォーホール的です。コマーシャリズムに流れる、情報の断片群をリミックスし、そこに表層的にしかかかわろうとしない。メタ視点に立脚したまま、ベタに入ろうとしない。この傾向は、西尾維新作品に限らず、同時代の多くの作品の基調になっているように思いますが、その辺まで話を進めると、もう文学論書けよって話になりますので、割愛。

 

まとまりがありませんが、とりあえずはここまでにします。

次回作はコチラでーすよ。

All You Need Is Kill (集英社スーパーダッシュ文庫)

All You Need Is Kill (集英社スーパーダッシュ文庫)