ライトノベルは斜め上から(50)――『出番ですよ! カグヤさま』
こんばんは、じんたねです。
仕事がやばい、どうしよう、寝るしかない。
さて、本日のお題はコチラになります。
解題――これからのニャル子さんについて考えよう
1.作品概要
本作品は、いわゆるボーイミーツガールのプロットです。ある日突然、カグヤと名乗る美少女がお月様から降ってきて、主人公の自宅に転がり込んで、えっちなこととかとてもえっちなこととか経験しながら、学園でトラブったり、急にそらから降ってきた異星人と喧嘩したりして、最後までラブコメする作品です。
いわゆるロストテクノロジーを持っている存在としてカグヤは描かれており、女の子っぽい風貌と小さな身の丈の主人公と対照的になっています。どちらが強いのか、という意味で。
2.這いよる混沌
本作品の作者は逢空万太先生で、這いよれニャル子さんで有名な方です。本作品にも、これまでと同じように、ネットスラングや特撮ネタなど、いろいろな先生らしいお約束が込められていて、ヒロインの造形もニャル子さんを連想させます。
なぜか一方的に主人公を好きになり、夜になると寝床をともにし、必ずお風呂には真っ裸で一緒に入り、性的関係をおおっぴらに求めてやまない。M系男子の夢がちゃんと詰まっています。
他にも、キスシーンがあるのですが、これがまたえってぃ。ぜひとも描写は本文で確認していただきたいのですが、1頁以上にわたって描写されるファースト&ディープキスは、「ああ、辛い過去があってこんな妄想を・・・」と涙なしにはよめないほど、濃密でした。唾液の糸とか、ぬめりと浸潤するとか、どこのR18小説や!
3.前作との違い
本来であれば、作品単体で、ブログを書くべきだとは思うのですが、わたしが気になったのが、どうして他作品との違いにあったので、書かせてください。
私、個人的に逢空万太先生のファンでして、ニャル子さんをきっかけに、深山さん家のベルティンも愛読してきました(あれは続編でないんですかお願いしますよGA文庫様)。
ネタとかやや古めかしい言い回しとかに視線を奪われがちですが、私が「おや?」と思ってずっと楽しく読んでいるのが、徹底したヒロインに対する距離感でした。これまでの作品において、主人公は本当にヒロイン(たち)に冷徹です。ニャル子さんでは、彼女の手の平にむけて、思いっきりフォークを突き立てようとすらしていました。まあ、彼女はあれですから、さしてダメージもないのでしょうけれど。
その潔さというか、ある種の女性に対するルサンチマンというか、その徹底ぶりを驚きながら読んできたんですね。
で、本作品もまたぶっ飛んでいるヒロインであるカグヤに対して、それはもう遠慮ないツッコミを繰り広げています。その意味では、やはり逢空万太先生だなぁと思わせます。
しかし、本作品は随分と違う。
主人公、ちゃんとヒロインに対して、本気でドギマギしているんですね。心から可愛いと思っているし、ちょっとでもバランスを崩してしまえば、そのままゴールイン、なんて緊張感があります。
これまで鉄の意志でもってして、ヒロインのデレを拒絶し、鋭利なツッコミを入れてきた主人公たちと、本作品の彼は、にても似つかない。それがどういう意味を持つのか、整理できてはいないのですが、もしかして先生はプライベートで満たされているんだろうか、なんてまったく無根拠な邪推をしてしまいます。
4.アニメ的描写
これもあまり指摘されないことなので、書いておこうと思います。
逢空万太先生の文体は、昔は固いものが多く、ライトノベルという場との馴染みにずいぶんと格闘されてきたのではないかと、これまた邪推しまくっていますが、本作品を読んでみて(過去作品を読みなおしていないので本当のところは分からないのですが)、映像から活字にしている部分が多いように思いました。
それは読みやすさであったり、アニメ化のしやすさであったりにつながっていて、また一段とちがった魅力になっていたと思います。たとえば、
「あ? 何さ、いきなり」
しゅる。
『改めて礼を言おうと思ってな。わらわ、半ば押しかける形になってしまったわけであるし』
「迷いもなく押しかけてきたんじゃねえかよ何しょうがなかったみたいに話してんだコラ」
ぱちん。
『本当に助かったのだ。わらわ、月の女王と言っても地球ではただの女子に過ぎんので』
「俺の知っているただの女子は双眼鏡を光線銃にトランスフォームさせないけどな……」
ぱさ。
『わらわ、そなたらに迷惑かけないように頑張るからなぁ』
「それは公園の時から頑張ってほしかったな、ほんと」
『そこでわらわは考えたのだ』
もぞもぞ。
「……なあ。お前、何かやってる? さっきから変な音が」
「そなたの恩に報いる為に、背中を流してやろうとなぁ!」
がらり、と。
風呂場の扉が全開になった。(104-105ページ)
ここの文章、風呂場のすりガラス越しに、ヒロインがもぞもぞと衣服を脱いでいるシーンを、あえてオノマトペで(そして『』で)表現している箇所なのですが、まるでそのシーンが映像となって流れてくるようだとは思わないでしょうか。
これは作者の力量という側面もありますが、ライトノベルの読者たちが、アニメを脳内再生しながら読むというリテラシーを身につけていて、それを利用している描写でもあります。
曲がりなりに、この描写を一般文芸でしようとすれば、かなりの補足が必要になってきます。ラブコメの主人公はもてもてで、性的なアプローチもされていて、お風呂一緒とかデフォルトっすから、と。すりガラスや湯けむりで隠された大事な部分は、ブルーレイだと取り除かれますから安心して買ってくださいっす、と。
文字から場面を描こうとすれば、もっと活字で埋めようとするはずです。たとえば、主人公の一人称で描写しようとすると、こうなるでしょうか。
「あ? 何さ、いきなり」
しゅる。布ずれの音が、すりガラスの向こうから聞こえてくる。カグヤの奴は何をやっているんだ。足拭きマットでも準備してるのか。今さら暴れたことを謝ってきたって俺は認めねえぞ。てか月に帰れ。
『改めて礼を言おうと思ってな。わらわ、半ば押しかける形になってしまったわけであるし』
「迷いもなく押しかけてきたんじゃねえかよ何しょうがなかったみたいに話してんだコラ」
ぱちん。
ぱちん? ボタンを外した音か? そいや変なハーフコート着てたけれど、アレも一緒に洗濯機で回そうってことか。ちょっとそれは年頃の女子のと一緒に、っていうのは抵抗あるな……。
ほとんど、じんたねの妄想ですが、こうすればシチュエーションは明確になります。それを敢えてオノマトペに封じ込め、読者の想像力に任せる描写は、とても好きです。
こんな頬が緩んでしまうような描写がたっぷりの本作品。えっちな絵本は買えないけれどライトノベルなら帰るというかた、えっちな絵本が買えなかった青春時代が懐かしいかたに、ぜひともオススメです。
(文責:じんたね)
さて、次回作はコチラになります。