ライトノベルは斜め上から(7)――『文豪ストレイドッグス』

こんにちは、じんたねです。

あっさり書けてしまったので、本日は深夜更新です。

 

さて、今回読ませていただいた作品はコチラです!  

 

解題――キャラが立つとはどのようなことか

 

1.作品紹介

かつて横浜で用心棒をしていた福沢諭吉は、妙なことから傍若無人な天才少年・江戸川乱歩の面倒を見るはめに。仕事で福沢たちが赴いた劇場で不可解な殺人が起き!? 2人の出会いと探偵社の日常を描く豪華2本立て!

 

今から十余年前、横浜で用心棒として名を馳せる銀髪の一匹狼がいた。その名は福沢諭吉。彼は妙な成り行きから、傍若無人で破壊的に人の話を聞かないが、超天才的な推理力を持つ少年・江戸川乱歩の面倒を見るはめに。警護のため福沢たちは殺人予告のあった劇場へ赴くが、殺人は劇の舞台上で、見えない何者かの手によって引き起こされて…!?武装探偵社始まりの物語と、中島敦入社前夜の探偵社の様子を描く、豪華2本立て!!

 

2.古き良き現代の推理小説

一言で要約することほど暴力的な解釈もないのですが、敢えて言い切ってしまうと、文豪系異能探偵バトル、と表現される作品です。ちょっとイメージしずらいかもしれないので、キャラクター表を引用しましょう。

 

 異能者・谷崎潤一郎。能力名――『細雪

 異能者・国木田独歩。能力名――『独歩吟客』

 異能者・太宰治。能力名――『人間失格』。

 その他の調査員も、それぞれ固有の異能を持ち、それぞれに力を振るって調査活動を行っている。市警をはじめとする公権力が支配する昼の世界と、黒社会が支配する夜の世界のあわいを取り仕切る、薄暮の異能者集団である。(17ページ)

 

どうでしょう。異能集団たちが探偵業として裏の世界で立ちまわる。キャラクターの名前や異能については言及するまでもありませんが、期待に胸膨らむ布陣であることが、すぐに伝わってきます。そして読み始めた直後から、その期待は確信に変わること間違いありません。

 

本文の構成も魅力的。まず魅力的なキャラクターたちが勢揃いし、軽妙な会話劇を繰り広げる。そこでグッと心を掴まされて、話は急転直下。とある事件をめぐって、2人のキャラクターの心の物語がスタートするという流れです。「こんなん、しょっぱなから反則じゃないか!」と、もの書きのひとりとして、むせび泣きながら面白く読まされてしまったのです。

 

文体もまた『依頼解決ノ合否』『社内二於ケル厄介事ノ解決』といった、明治時代の文豪を連想させる言葉遣いで、読みながら「かっこいい! 抱いて!」と何度思ったことでしょう。

 

3.キャラクターのキャラ性はどこに宿るのか

本作品最大の魅力は――私の見るかぎり――キャラクターの立て方とその手法、そしてその先にある人間の内奥にフォーカスしていることだと思います。謎解きや異能バトルも当然面白いのですが、そちらのほうが興味をひかれました。

 

キャラが立っている――よく聞く言葉です。

 

ですが、どういう状態が「キャラが立っている」ことなのかを言語化することは、意外なほど難しかったりします。珍妙な仕草があればいいキャラというわけではない。常識的な振る舞いでも魅力的なキャラがいる。人様の作品を見て「キャラが立っている」ことはすぐ分かるはずなのに、いざ、自分で創作しようとすると「キャラが立っている」キャラクターを造形できない、なんてことは日常茶飯事です・・・辛いよう。

 

・・・ええと、私の能力は棚に上げます。それで、おそらくキャラが立っているというのはキャラクターの言動に余白と文脈がある状態」だと、今のところ考えています。

 

説明しましょう。キャラクターは、その舞台において、特定の価値志向に基づいて、一定の言動をとっています。理由のない言動をとる人間を、私たちは好意的に理解しません。キャラを立てるには、少なくとも理解可能な行動原理を設定することが、必要最低条件です

 

ツインテールの女の子を登場させるとして、それがただの記号でしかないのであれば、そのキャラクターは目立ちません。ですか、そのツインテールに行動原理があるとすれば――何でもいいです。くせっ毛を隠すためだとか、昔好きな人からもらった髪ゴムがちょうと2つだったとか、アニメばっかり見ていてその真似をしているとか。そういった行動原理の理由を知ることで、私たちは特定のキャラクターに親しさを感じることができるようになります。これがキャラクターを位置づけるための「文脈」になります。

 

で、それプラス「余白」が、余白こそが重要だと思っています。余白とは、文字通りの白い余った部分。何の情報も書き込まれていない部分、という意味です。「文脈」と好対照の関係にあります。文脈が、キャラクターの行動原理としてキャラ性を付与するものだとすれば、余白は、キャラクターの行動原理から逸れてしまう、どうにも解釈しきれないもの、だと考えています。

 

行動原理のハッキリしていて全くブレない人。総じて世の中では「強い人間」として語られがちです。そういう人をみると、私などは萎縮してしまうのですが・・・。これは理解を得られても、共感を得られにくい。行動原理が逃避的なもの――たとえばお酒に溺れるなど――でも、ブレがなければやはり「強」情な人間に分類される。

 

この理屈、キャラクターにも当てはまると思っています。つまり、どんな人間にも行動原理はあるものの、それ「だけ」ではない。人間は行動原理を抱きつつも、それを疑い、反省し、時として崩し、ブレる。そんな側面を垣間見た時、その人のことをグッと近くに感じたりはしないでしょうか。つまり、キャラクターの行動原理を把握してもなお、「あれ、なんでこんなことするの?」という言動が、共感的理解を得るためには必要なのです。

 

その行動原理のブレこそ、作品内でキャラクターの成長のきっかけにもなりますし、ドラマを駆動させる原動力にもなります。ボーイ・ミーツ・ガールはボーイとガールがミートすればいいというわけではない。2人が出会って、周囲の人間関係も巻き込んで、変化するから――もっといえば、2人の関係が成長・進展するからこそ、面白い

 

4.オリジナルという、有益な武器

文脈を提供し、そこから漏れる余白を抱き合わせる。これがさきほどの話でしたが、もっと手っ取り早く、キャラを立たせる方法があります。私たちの現実を見れば、すぐに分かります。キャラが立っているということは、何よりも、固有名を持ったその人がオリジナル(独創)であり、その人らしさを純化することが、最もキャラを立たせる近道。

 

ここで『文豪ストレイドッグス』のあざといまでのキャラクター造形が、理解できるようになります。

 

登場人物たちはみな、かつて実在した文豪の名前をもっています。その異能もまた、教科書的な代表作品ばかり。文豪や作品の知識を持っていれば、おのずから本人のことを想起します。

 

谷崎潤一郎といえば『細雪』で、何だかエッチなイメージがある=作中に出てくる妹がエッチだ=いいぞもっとやれ。

 

この図式をもたらすことが、とても容易になります。ライトノベルのキャラクター名は非現実的であるという揶揄もチラホラありますが、これは優れて合理的なキャラ立ての方法論だと思います。まさにキャラが立つということは、それがオリジナル(起源)を持つということなのです。

 

5.キャラのゆく先

そしてキャラの立ちまくったキャラクターたちが、どこに向かうのか。これは本文の台詞に語ってもらうほうが早い。

 

「ええ? 皆でこうやって実のない議論をするのが楽しいのに。朝までやろうよ」(41ページ)

 

これは太宰治の台詞なのですが、実に、この作品の特徴を言い当てている。本作品は、読み応えのある地の文もさることながら、キャラクター同士の会話劇が、めちゃくちゃ面白い。時に無目的に、時にシリアスに。どんな場面においても、ストーリーを駆動させるのは、キャラクターたちの会話です。暴力や異能、はたまた金などの物理的(?)な方法で、話が深まることは少なく、いつでも会話によってキャラクターたちは影響し合います。

 

 弁舌の才が欲しかった。

 群衆を沸き立たせる口八丁ではない。民草を扇動する巧言令色でもない。ただ目の前の幼い子供に単純な事実を理解させるだけの、小さな嘘を操る力が欲しかった。(175ページ)

 

この場面、作品の山場の独白なのですが、どういう会話が意味を持っているのかを、端的に示しています。そう、キャラの立ったキャラクターたちが会話を織りなし、そこから垣間見える心の襞を描写してみせる。これこそが、本作品の数多くある魅力のなかで、ひときわ光っている部分ではないかと思うのです。

 

あざといまでのキャラ立ては、その入口であり、そこから先にある「余白」と「文脈」を開示せしめる。入口で戸惑っていてはもったいない。ぜひ後半まで読み進めて欲しい。心からそう思った作品でした。

(文責:じんたね)

 

追記:ちなみに、本作品はシリーズの三作目にあたり、読み終えるまで気づきませんでした・・・。一作目から読むのが常套なのですが、どうかご容赦ください。

 

さて、次回予定している作品はコチラです。

メイド喫茶ひろしま (1) (ぽにきゃんBOOKSライトノベルシリーズ)

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