ライトノベルは斜め上から(42)――『天久鷹央の推理カルテ』

こんばんは、じんたねです。

最近は、ライトノベル以外をガンガン読んでブログに書いている気がしますが。まあ、いいじゃないか。

 

さて、本日のお題はコチラ。

天久鷹央の推理カルテ (新潮文庫nex)

天久鷹央の推理カルテ (新潮文庫nex)

 

 


解題――知性の演出

 


1.作品紹介

統括診断部。天医会総合病院に設立されたこの特別部門には、各科で「診断困難」と判断された患者が集められる。河童に会った、と語る少年。人魂を見た、と怯える看護師。突然赤ちゃんを身籠った、と叫ぶ女子高生。だが、そんな摩訶不思議な“事件"には思いもよらぬ“病"が隠されていた…?頭脳明晰、博覧強記の天才女医・天久鷹央が解き明かす新感覚メディカル・ミステリー。

 


2.ホームズとワトソン

本作品は、いわゆる犯罪があり、その謎を解くという、ミステリー作品になっています。舞台は病院であり、主要なキャラクターはずべて医療関係者になっています。

主人公はワトソン役の普通の男性であり、そしてメインヒロイン(?)はホームズ役の女医さんです。

 

女医です。ここは大事なところなので二回言いました。

 

謎解きには、専門的な医学知識が惜しげもなく使われていて、おそらくですが医療関係の仕事をしたことのある方が書かれたのではないかと思われます。専門的知識を自慢せずに、あたかも自然に謎解きに利用する手つきが、ブラックジャック手塚治虫を連想させます。

 

さばさばとした文体に、知的パズルを提供してくれる流れ、適度に説明される謎。どれをとっても気軽に読める高質なエンターテイメント作品だと思いました。

 


3.知性の演出

さて、本作品でわたしが興味を抱いたのは、天才探偵役のキャラクターの知性を、どうやって演出しているのか、ということです。

 

頭のいいキャラクターを描くのは難しいと言います。理由は簡単で、書き手以上に頭のいいキャラクターは原理的に描けないからです。

 

頭がいいとされている実在の人物や、どこかのフィクションのキャラクターの言動をそのままトレースする以外、書き手の知性を超えるキャラクターは描けない。

なのでホームズばりの人物を描くには、それなりに「お化粧」してアピールする技術が求められます。本作品にある、知性の演出には、次の3つが使われていました。

 

(1)知識量
これは女医さんが、大変な読書家であるという設定で補われています。読むジャンルも専門書に限らず、小説やマンガに至るまで。自宅として機能している部屋には、うず高く本が積もっています。

自分の知っていることや話したいことに話題が変わると、ひたすらずっとしゃべり続けるという設定もまた、その延長線上にあります。

(2)データベース
それだけの知識量があっても、的確に引き出せないと意味がない。ということで、それらの知識はデータベースとして蓄積され(記憶され)、いつでもどこでも、事件解決のために的確に引き出すことができることになっています。

(3)論理的=空気読めない
知識をたくさん蓄え、それを引き出せるとしても、うまく使えないと役に立たない。だから彼女は、とても論理的で客観的に考えられる人物として描かれている。

彼女は事件に出会うと、それにかかわる人物の心情や価値観、そういったものを顧慮しません。事件解決に必要な情報にのみ関心を払い、それ以外には目もくれない。俗にいう「空気の読めない」キャラです。本人も周囲もそう自覚しています。

 


4.「知性=人間味」ではない、というお約束

とはいえなのですが、頭がいいということを、(1)から(3)に限定すると、ひどく狭いことになります。

 

もしそれが知性だというのであれば、人工知能のデータベースが一番頭がいいことになりますし、電卓とセットになれば、計算速度だって早い。論理も間違えない。人間の知性を言い切るには、やや単純です。(もちろん、そういった側面を否定するわけではありません)

 

知性には、他にも文脈を編み直すという能力があります。

 

分かりやすいのでニュートンにしましょう。彼は万有引力の法則を発見したと言われています。リンゴの木からリンゴが落っこちるのを見て。これまでたくさんの人が、物が落下する様子を、何度となく見てきたのに、それまで誰も、それを法則として結びつけることをしなかった。

 

だけどニュートンはそれを科学という文脈において再解釈して、重大な発見につなげました

つまり、とある世界にとっては常識でも、別の世界にとっては非常識なことがある。その違いを知り橋渡しをすることもまた、知性の一つだと言えます。

 

そういった観点から見れば、ホームズである女医さんは、頭が悪い論理という規約の世界でしか知性を行使できないというのは、現実ではほぼ無能を意味しているからです。日常会話は、論理的には穴だらけ矛盾だらけであり、情報の正確な授受という図式で見れば、何のやりとりもできていない。会話すらできなくなります。

 

だから本作品は――素晴らしいんです。ここがキャラクターの魅力につながっているから。

 

ワトソンとホームズが事件を解決し、めでたく日常に戻るラストシーン。主人公は疲れ切っていて自宅に帰ろうとしますが、女医さんは一緒に飲もうと誘う場面です。そこで次の台詞です。

「そうか。ところで、ここに置いていくお前の愛車、落書きとかされないといいな」(123ページ)

分かりますね。私と飲まないなら、お前の愛車に落書きしてやる、と脅しています。とても可愛くて大好きな場面なのですが、

 

「おや?」

 

そう思いませんでしたか? 思ってくれないと話が進められないのですけど、まあ思ったことにしてください。さきほど、この女医さんは空気を読めないと言いました。人間の機微に疎く、論理や科学しか眼中にないと。

 

ここの台詞、とてもそんな人間が言えるようなものではありません。

 

もしそんな人物だったら、きっと論理的にこういうでしょう。「お前が帰れば、車は落書きされる。帰らなければ、車は落書きされない」と。とても可愛らしくも厭味ったらしいせりふ回しは使えないはずなんですね。

 

でも使っている。これは彼女が、実は人間味にあふれている、ということを裏書きしています

 

自分でも空気が読めないという発言を、寂しそうにこぼすのは、自分がどこかダメな人間であることを自覚しているという、人間味のある性格を表している。つまり、知的で高飛車な性格と、それとは好対照の人情味のある人物。それがメインヒロインであり、可愛くていい、という描かれかたにつながっているのです。

 

知性の演出。それはとても難しくもあり、面白くもある。
本作品を楽しみながら、いろいろと考えました。

(文責:じんたね)

 

さて、次回作はコチラ。

LAST KISS (電撃文庫)

LAST KISS (電撃文庫)

 

 

追記:ちなみに、その鉄板設定をあえて裏切ったりしているのが、森博嗣だったりしますが、まあそれは別の機会にでもお話しましょう。