ライトノベルは斜め上から(36)――『ちょっと今から仕事やめてくる』

こんばんは、じんたねです。

やりたいことが多すぎて、どこから手をつけていいのやら、という日々です。

 

さて本日のお題はコチラ!

 

 

解題――現代的寓話

 

 

1.作品概要

この優しい物語をすべての働く人たちに

 

ブラック企業にこき使われて心身共に衰弱した隆は、無意識に線路に飛び込もうとしたところを「ヤマモト」と名乗る男に助けられた。

同級生を自称する彼に心を開き、何かと助けてもらう隆だが、本物の同級生は海外滞在中ということがわかる。

なぜ赤の他人をここまで気にかけてくれるのか? 気になった隆は、彼の名前で個人情報をネット検索するが、出てきたのは、三年前に激務で鬱になり自殺した男のニュースだった――

働く人ならみんな共感! スカっとできて最後は泣ける"すべての働く人たちに贈る、人生応援ストーリー"

 

 

2.サザエさんシンドローム

本作品は、そのタイトルから予想さえるように、いわゆるブラック企業で働く主人公が、偶然の出会いをきっかけにして人生を振り返り、仕事を辞めて新しい生き方を選ぶ、というものです。

 

作中にでてくる気分のめいったしまった状況の描写や、サザエさんシンドローム――日曜日にサザエさんを見ると、もう月曜日が始まってしまうとネガティヴな気持ちになるという現象――など、そういった鍵となる事柄や言葉がちりばめられています。

 

帯にあるように、「最後は泣けます」というコンセプトで書かれた作品であると言えるでしょう。

 

 

3.現代の寓話

さて、本作品の特徴と私が考えているものは、その寓話性です。寓話性、言い換えればフィクションらしさということなのですが、ここは補足説明が必要になります。

 

本作品、作品の舞台としてブラック企業であったり、鬱傾向の主人公であったりが登場するのですが、必ずしもリアルというわけではありません。ディテールにおいて「あれ、それでよかったの?」と、人物同士の摩擦が少なかったり、やや感情的にすぎる先輩や上司であったり、会社を辞める手続きがさっぱりしていたり、といったことがあります。ですが、こういった面に注目して「リアリティがない」と評するのは、作品の真価を曇らせてしまうと思っています。

 

なぜか。

これは寓話だから、です。

 

寓話、フィクションの機能の1つとして、現実を誇張したりあるいは省略したりすることによって、伝えたいこと・表現したいことを、より具体的に可視化させるというものがあります。

 

ガリバー旅行記ってありますよね。あれって、当時の社会を風刺している作品なんですよね。旅行記に見せかけて、同時代の人々を、あえて旅行でのイベントという寓話に仮託することによって描き出す。イソップ物語なんかは、そういう風刺や箴言の作品として解釈され続けてきたので、こちらのほうがイメージしやすいかもしれません。

 

ブラック企業の現状も、それに心病む人間も、リアルを追求しようとすれば、途方もない作業が待っています。ブラック企業も心を病んでしまうことも、いずれも千差万別であり、ある人にとってのリアルは、別の人にとっては生ぬるく見えたり、嘘っぽく見えたりすることがあるからです。

 

もちろん、本作品が注目しているリアルは、そんな簡単には済ませられないし、看過してはいけない問題もたくさんあることは承知しています。とはいえ、リアルを追求し続けていけば、それはルポルタージュに近くなります。ルポルタージュ的あるいはルポルタージュを書くこともとても面白く大切なことですが、おそらく本作品の作家さんは、それをしたかったわけではない。

 

できるだけ多くの人に手にとって欲しい、だから、なるべく個別具体的な状況は避け、緻密な描写を避けて,読みやすいものを書きたい、そう考えたのではいでしょうか。編集さんの立場もあったかもしれません。

 

そうすると、本作品の、背景描写の極端なまでの少なさや、会話メインで進むストーリーが、工夫と計算のうえでなされていることが見えてきます。ページ数も多いというわけではなく、本当に、気軽に手にとって読み終えてしまえる読みやすさです。

 

 

4.明るく語る悲劇=喜劇

私は、ここまでで現実を省略する方法論について述べました。もう一つ、誇張という方法論について触れて、ブログを終わろうと思います。

 

現実を省略し誇張する。これは小説に限らず、表現にまつわる、よくあるお話です。

 

現実の複雑怪奇な状況をできるだけトレースしようとすることもあれば、思い切って単純かすることもある。さっぱりとしていて普段は目に留めないことを、ここぞとばかりに手間をかけてクローズアップさせることもあります。

 

本作品は、重苦しい現実をある程度省略して、読みやすい寓話として造形されていました。それは逆から言えば、重苦しい現実を、ある種の明るさで誇張することによって、それを見えやすい形にしている、といえます。

 

重たい話。ずっと続くと気が滅入ってしまいます。書いている側としても、シリアスなシーンが続くと、瞳はよどみ、背中は丸くなり、肩や腰に力がはいり、ため息はこぼれ、と辛い気分になります。

 

本作品、全体的にユーモラスな部分が多い。ネクタイを新調して浮かれている主人公であったり、デートと称して男と飯を食べに行ったりする。そういったシーンは、ユーモラスな部分としては突出していると感じています。こうして重苦しい現実を、あえて明るく語ることで、喜劇として提示する。そんな工夫がなされていると思いました。

(文責:じんたね)

 

次回作はコチラを予定しています。