ライトノベルは斜め上から(34)――『青は何色』

こんばんは、じんたねです。

最近、めちゃくちゃ眠たい。起きていても眠たい。

 

さて、本日の作品はコチラ!

 

 

解題――君に不干渉を貫く勇気はあるか?

 

 

1.作品概要

本作品は、現実とも非現実ともつかないようなオープニングから始まります。主人公である女の子は、まったく身に覚えのない山荘のような場所にいます。ですが、なぜそこにいるのか自分が何者なのか。記憶が曖昧としていて分からない。とにかく、そこに住まうことで話は始まります。

 

その建物には、主人公以外にもさまざまなキャラクターたちが住んでいる。

 

ひどくずぼらな人、怒りっぽい人、嫉妬深い人、性欲の強い人、七つの大罪を連想させる人たちばかりですが、そんな彼女たちとの同居生活が始まります。そして、その女性たちとは違う「神様」と呼ばれる人物がいます。彼女には「話しかけてはいけない。問われても答えてはいけない」というルールがあり、主人公はそれに従って、最初はおどおどしながら「神様」とも過ごします。

 

ストーリーは、最初はほのぼのとした流れですが、次第に滝に落ちていき、滝つぼで溺れて這い上がれなくなるような展開を迎えていきます。

 

そこに住まう女性たちが、次々に死んでいきます。その死に方も独特で、ミステリーのような、殺人のような、死因も幻想的であったりします。そうしてキャラクターたちが全員死んでゆき、最後にはストーリー全体を覆っていた謎が、霧が晴れるように見えてくる。そんな展開になっています。

 

本作品、極めてグロテスクで性的な表現が散見されます。レイプや暴力は言うに及ばず、刃物を突き立てたり、肉が腐敗したり、内臓が見えたり、肉体関係が描写されたり。幻想的とは言いましたが、必ずしも一般的な意味ではないことには留意しておく必要があります。

 

 

2.自分探しの旅

本作品を一言で言ってしまうと、自分探しの旅、と言えるかもしれません。ややネタバレになりますが、共同生活をする人々はみな、主人公の抑圧してきた感情の写し鑑であるという設定になっています。

 

抑圧し、対話を否定してきたがために、彼女たちが登場する

 

こういった設定であれば、だいたい、その現身のキャラクター達と和解し、融合し、本当の自分を取り戻して、現実世界に帰ってくる。これがお約束であることが多い。

 

だが本作品、その流れを踏襲しつつも、ものの見事にそれを裏切る。どういうことか。主人公は、彼女たちと和解することは和解するのですが、その方法が異なっている。上述のようにキャラクターたちは死んでいきますが、後半の死因のほとんどは、主人公が殺すことによります分裂した自分を取り戻すため、自分を殺し続ける

 

そこに性的なエクスタシーを感じたり、快楽的な幻想によったりする描写が、何度も描かれています。これがどうして自分探しと言えるのか。最初に読んだとき、私はひどくビックリしたことを覚えています。

 

物語のクライマックス。すべての現身を殺し終えた主人公は、ついに自分自身の正体に気づきます。そしてかつて殺してきた彼女たちと過ごした、その場所に、幻想的なかたちで回帰します。こういっていいのか分からないのですが、主人公は、いったん現実に戻ってきたにもかかわらず、自分探しの旅を終了したにもかかわらず、もう一度旅に出ることを決意するのです。その旅は、でももう不要な旅。自分の正体に気付いており、自分を探す必要はないのですから。それでも主人公は旅を選び、現実世界との決別を果たします

 

このあたりのシーンでは、子宮と出産を連想させる描写が続き、「うあぁ!」とため息がこぼれたことを覚えています。最初はグロテスクにしか見えてなかったのですが、そこに込められた意図に気付いて、愕然としたというか。そこから振り返ってみれば、あのグロテスクな表現に込められた意味が、別様に解釈出来てきました。

 

 

3.不干渉の正義

その解釈ですが、以前、本作品の作者について、私はエッセイを書いたことがあります。それは以下のリンクから確認してくれれば分かると思いますが、作者には厳格で一貫したテーマがあると思っています。

それは本作品を読んだ後でも変わりません(無論、当人がどう感じているのかは別の話で、これはあくまでもじんたねにはそう解釈できる、という意味でしかありません)。

 

不干渉の正義――そう言えます。

 

他人との不必要なかかわりをもってはならない。他人へ干渉してはならない。それは自分と他人を食いつぶしてしまうから。どこまでも他人は他人であり、自分は自分である。この倫理観とも言っていいスタイルが、息づいている。

 

本作品もまた、不干渉の正義という観点から読み解くことができる。

 

主人公は、現実世界においてひどく傷ついた存在です。それこそ人を殺しかねないほど。そんな彼女の傷は、すべて他者の理不尽な干渉によってもたらされています。そして主人公の窮状を救おうとしてくる味方がいるのですが、その人もまた、主人公への干渉によって、命を落としてしまいます。そのことが主人公をさらに苦しめている。そういう前提がまずあります。

 

山荘のような場所で共同生活を始める主人公ですが、彼女は、そこの住人が死んでいくにつれて、まるで死んだ相手の人格を吸収するように人間らしくなっていきます。茫洋として意識すら怪しかった存在が、次第に自己主張を始め、周りを動かしていくようになる。

 

これ、実は、自分探しをしているのではないんです。

自分探しに見せかけた、別のことをしているのです。

 

お前は何を言っているんだ。さっきは自分探しの旅だと言ったじゃないか」というご指摘はその通りなのですが、もう少し説明をさせてください。主人公は自分を殺しています。よくよく考えてもみれば、殺すことと探すことは同じではありません(何を言っているんだろう俺は・・・)。

 

じゃあなんで殺すのか。7つの大罪の欲望は、言い換えれば、他者抜きには語れないものばかりです。他者無くしては成立しない欲望といえる。

(とはいえ、食欲などはあまり直接的にはつながっていません。本作中でも、食欲などの欲望をシンボライズしているキャラクターは、あっさり死んでしまいます)

そんな欲望のシンボルを仮託された自分の分身たち。それらを殺すことが何を意味するのか。

 

他者とのインターフェイスを切断すること、これです

 

不干渉の正義を貫くには、とことん他人からの/への、情報をシャットダウンしなければいけません。何らかの情報が入ってしまえば、リアクションせざるを得ず、したがって干渉が生まれてしまいます。目を閉じ、耳を塞ぎ、口をつぐみ、身を縮め、眠るように停止していても、私たちはどこにいても一人でいても、他人を意識せずにはおれない存在であり、不干渉の正義は、挫折してしまうことを運命づけられています

 

だったら目を潰し、耳を削ぎ、口を縫い合わせ、その身を滅ぼしてしまえばいい

 

不干渉の正義を、徹底的に貫くにはそれしかない。言い換えれば命を絶つしかない。そう、分かりますよね。主人公は不干渉の正義を貫こうと(現実世界での不幸を消化しようと)、自分の分身である存在を殺すのです。そこに、二度と、他者の臭いがまとわりつかないように

 

物語の最後で、主人公が現実世界を選ぶのではない、という結論も、その世界に住まわっては干渉し、干渉されてしまうからというロジックで見えてきます。

 

これほど強烈に、不干渉の正義を貫こうとする筆致に、驚かずにはおれません。自分を追い込みながらでなければ書けない。もし左うちわでこの作品がかけるとしたら、すでに不干渉の正義を貫徹しようとする原理的狂気を、手なずけていることになる。どちらにしても、真似できることではないでしょう。

 

 

4.なぜ正義なのか

ここで誤解してはいけないのは、本作品の不干渉が、他者への恐怖に由来するものではないということです。

 

もちろん他人が恐ろしい。他人なんか嫌だという引きこもりメンタリティがないとは言い切れないでしょうし、ものかきは多かれ少なかれ、そういうところがあるものでしょう。

 

正義、私はそう表現しました。

 

それは他者との干渉が、少なからず不幸をもたらすという認識から、それを何とか回避したいという他者への不干渉を生み出しています。

 

ここのねじれ、あるいは弁証法。他者に干渉してしまった、いや干渉したいという願いが、結果として不干渉の正義に行き着いてしまう。ここに高潔な覚悟を読み取れなければ、本作品のすべての文章にみなぎっている、内圧の高いエネルギーを感じ損ねてしまう。

 

不干渉が正義である。

この認識それ自体が、他人との干渉がもたらした苦痛によって支えられている。

 

このあまりにも人間的なスタート地点があるからこそ、本作品を含めた作者の生み出したものは、とても悲しくて、どこかユーモラスで、どれほどグロテスクで性的であっても、読んでしまう(苦手な人は駄目かもしれませんが)。それは人間自体がかかえる矛盾をごまかさずに書ききっているからでしょう。本作品は、そのなかでも、記念碑的なものとして位置付けられていい。

 

グロテスクであったり性的であったりする表現は、ここでの解釈にしたがうと、他者と干渉することそれ自体に内在している恐怖・不幸・まがまがしさ・理解不可能さ、そういったものを象徴的に示している。表面上、グロテスクで性的なだけではないからこそ、その描写には読ませる力があるのです。

 

 

5.おわりに

本作品は、これまでとりあげてきた多くの商業作品とはちがって、ネット上で無料でよめます。書く者がいて読む者がいた。そして突き動かされずにはおれなかった。どのような媒体、どのようなフィールドにおいても、ここを外しては、物語は意味がない。そしてその可能性は、人の数の複雑な関数関係にあり、物語はその関数の結節点にあります。物語はまさに、つねにすでに、一期一会。

 

もう一度いいますよ? 無料です。今すぐ読めます。

 

どうでしょう、皆様も一期一会に賭けてみては。

(文責:じんたね)

 

さて、次回作はコチラになります!

ねこシス (電撃文庫)

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