ライトノベルは斜め上から(13)――『あれは超高率のモチャ子だよ!』

こんばんは、じんたねです。

ちょっと体調不良で更新が遅れました。

 

さて、本日の作品はコチラ!

あれは超高率のモチャ子だよ! (角川スニーカー文庫)

あれは超高率のモチャ子だよ! (角川スニーカー文庫)

 

 

 

解題――モチャ子という高率を「超」えて

 

1.作品概要

「あたしたちのモチャ子が爆発しました!」ユイ(のアホ毛)は激怒した。おれは、配当局の邪智暴虐な王たる三島さんからの逃走を決意した。桜几晃の通う帝釈学園は、モチャ子という特殊紙幣がすべてを司る。モチャ子で買えぬモノはないが、モチャ子を持たぬ者は存在価値がない。そんな学園でモチャ子を奪われたアホ毛とおれの運命は!?おかしな貨幣を巡る、ハイテンション学園コメディ!第20回スニーカー大賞“特別賞”受賞作!

 

2.要素詰め込みのおもちゃ箱

本作品の特徴を言い表すことは、かなり難しかったりします。設定それ自体は複雑ではなく、とあるエリート高校があり、そこではモチャ子という貨幣経済が広まっていて、モチャ子を巡って人間模様が繰り広げられる、とひとまず表現することはできます。

 

が。

 

作品には、発想と予想と斜め180度を超えてそのまま月面着陸したかと思ったらそこは地球かよってくらい、キャラ同士の駆け引きが弾けていますスニーカー文庫らしいといえばらしいですが、本当に弾けている。解説すると負けな気がするくらい。これは是非、読んでみて欲しい素晴らしさ。

 

それだけではなく。

 

ゲーム的遊戯王というべきか。作品のモチャ子をめぐるゲーム的駆け引きも、面白い。ぶっとんだ会話の狭間に、腹を探り合う権謀術数があり、そこもまた欠かせない魅力になっています。

 

つまり、いろんな要素が圧縮されており、まるでおもちゃ箱のような楽しみかたができる作品だといえます。

 

3.貨幣経済のご利益あるいは弊害

そんな本作品を駆動するものは、貨幣経済のご利益(弊害)です。簡単に言ってしまえば、物事をはかる物差しが、すべてモチャ子なのです。

 

人物の魅力をはかるのもモチャ子。モチャ子があれば何でもできる。まるでどこか東方の、バブル経済が崩壊し、若者の貧困が問題になり続けている、かつて諸外国よりエコノミックアニマルと蔑まれた、かの国のようです

 

遡れば、マルクスは言うに及ばず。貨幣というものは極めて、強力な評価基準です。私たちが何気なく使っている「時給」という発想も、ペイした労力や時間に、その対価としてのお金を支払うという考え方を前提にしています。

 

役に立つか立たないか。ペイするかしないか。モチャ子がそうであるように、今の私たちだって、貨幣に囲まれてくらし、それを基軸にして物事を見ながら生きています。

 

これはよしあし。統一的な基準というものは、多くに人間の共通理解の基盤になってくれます。それは人々のつながりを促進し、次の社会へとつなげることが可能になるからです。今も「言葉」という貨幣を交換して、私たちは共通のものをやり取りしている(気になっている)から、生きて行けたりしますし。

 

逆に、貨幣が基準になるということは、その価値から漏れるもの、あるいは評価の低いものは、融通無碍に「いらない」とされてしまうことにもつながります。

 

そんなどこかの国の現実のように、モチャ子をめぐるドラマが、ここにはあります。

 

3.悪の組織は可能か

本作品には2つの組織が登場します。執行局と公安局。この2つがモチャ子の99%を牛耳り、それに生徒たちも巻き込まれています。なお、教師については記述がないので判断できませんが、日本円とのつながりを想定しますと、きっと続巻では触れられるでしょう。

 

主人公たちは、そのどちらにも属さず、そしてどちらも敵に回すかたちで、モチャ子バトルを展開します。

 

そして2つの組織は、いわば「悪」として描かれます。2つの組織の悪としての性質=モチャ子による学校の支配をもくろむ、という図式になっているのですが、その理由が面白い。当人たちはいいことをしているという自覚はなく、悪であることを踏まえている。それでいてモチャ子で牛耳ろうと企んでいるからです。

 

「あら、まるで資本の自己増殖ね」

 

と感じたのは、たぶん私だけじゃないでしょう。資本が資本であるそれ自体で、資本の拡大を目指す。そこにかかわる人々の思惑が、なぜか資本が主体であるかのように従属させられてしまう。

 

このご時世であれば、悪の組織にもそれなりの存在理由がいります。異世界ものにおける勇者や魔王が、素朴に世界を救ったり支配したりすることができない時代だからですね。だけど、モチャ子の世界ではエクスキューズらしきエクスキューズがない。その存在理由すら与えてくれるのがモチャ子であり、貨幣であるという、強烈な破壊力のある説明が、すでに設定でなされているからです。

 

 

4.平凡な主人公の、素朴な人情

そんなモチャ子をめぐるサバイバル状況において、主人公は「平凡」な立ち回りをします。もちろん実は頭が大変切れる(そしてどういうわけか人間関係の中心に立ち、ヒロインに好かれている)。

 

けど、モチャ子に振り回されません学園をどうにかしようという野心を抱かない。仲間どうしの友情を大切にしようとします。

 

・・・変ですよね? そう、変なんです

 

「どうしてこの学校に入ったの」って思いませんか? 彼は、入学するまで知らなかったという設定ですが、そんなはずがない。有数のエリート校がモチャ子ベースで動いていれば、周囲の人間が気付かないはずがないからです。そこで貨幣経済による支配の仕方を、身に染みて学び、卒業後は活躍できるようになる、というのがここのルールですし、それを知っていて頑張る生徒もたくさんいる。実際、作中においてもモチャ子が日本円に変換可能であることが示唆されています。

 

むしろモチャ子があるということを、生徒集めの売りにしたっていいくらいなのだから。

 

これは設定云々という話をしているのではありません。ましてやあらを探しているのでもない。ここに伏線があるんではないか、と私は睨んでいるんです。

 

本作品のカタルシスは、やはりモチャ子をひっくり返すことにある。モチャ子の流通に染まって、そこで安寧としてくらす主人公たちは想像しにくい。主人公たちが何を願い、何を求めてモチャ子(自己増殖する資本)に挑むのか。

 

きっとそれは「お金じゃ買えないもの『』ある」という素朴な感覚の勝利、ではないかと想像しています。

 

主人公はモチャ子経済に対して、ずいぶんとアンビバレントな態度をとっています。ときにつっぱねたり、ときに振り回されたり、ときにやっきになったり、ときにどうでもいいと感じたり。

 

そこで主人公たちがモチャ子をめぐるドラマを展開し、最後には、きっとモチャ子を乗り越える。そんな期待をせずにはおれません。だけどそれは、人間が共通のものさし=貨幣を捨てられないように、モチャ子を捨てるという選択肢にはならないはず。

 

続きはどうなるのだろう。とても、とても、続編が気になります。とある東方の国のドラマとしても、大変な深読みができる、おもちゃ箱的ハイテンション学園ものとして、この先が気になる作品でした。

 

さて、次回作はコチラ!

魔法中年っ!

魔法中年っ!