ライトノベルは斜め上から(3)――『宝石吐きのおんなのこ』

こんばんは、じんたねです。ちょっと酔ってます。

さて本日のお題は、こちらです。

 

なみあと(著)・景(イラスト)『宝石吐きのおんなのこ ~ちいさな宝石店のすこし不思議な日常~』ぽにきゃんBOOKS、2015年。 

 

 

 

『宝石吐きのおんなのこ』解題――うわつよい妖女な幼女は養女なのか

 1.作品概要

この輝きは、愛しき人のために。

 

 

○第2回「なろうコン」からの追加書籍化タイトル

○イラストは、イラストコンテスト「Crafe」の第5回から、「ぽにきゃんBOOKS賞」受賞者の景が担当

 

大陸東部の穏やかな街、リアフィアット市。

そんな街の片隅に、店員二名の小さな宝石店があった。--『スプートニク宝石店(ジュエリー・スプートニク)』。

 

従業員のクリューは、どこか言動の幼い、よく笑いよく怒る、栗色の髪の女の子。

一方、店主のスプートニクは、嫌みっぽく口の悪い、そのくせ外見だけは無駄に良い意地悪な青年。

 

そんなふたりが営む宝石店では、今日も穏やかに、賑やかに時間が過ぎていく。

しかし、クリューにはある不思議な体質があった……「宝石を吐きだす」体質。それはふたりだけの秘密。

 

この体質のせいなのか、ふたりの日常は、ゴロツキやら警察局魔法少女やら魔女協会やら…

なんだか不思議な出来事に巻き込まれていく…。

 

宝石に愛された少女の、甘くて淡い、ファンタジーノベル開演。

  

2.クリューというマスコット主人公

「うわ、幼女無敵だぁ……」――これが初読時のじんたねの感想でした。

 

お話の主人公は、クリューという女の子。コロコロと表情を変えて、いっぱい泣いたり笑ったり、騙されやすくて背伸びもしてて、思春期になる頃には、とうの昔に失われてしまっていたピュアネス。それがクリューたんには溢れていました。もう可愛いまじ可愛い

 

だってですね? 主人公格の男性キャラがですね? 事情があって朝帰りしてきたらですね? 頬を膨らませながら、涙をこぼしながら、声にならない感情を抱きながら、こんな可愛い台詞を吐くんですよ……!

 

「すごい、おさけの匂い、で、おさけ、飲みすぎで、どこ行ってたんですかっ、て、聞いても、適当なこと、しか、ひっ、いわ、いわなくて、だれとって、聞いても、『俺の勝手だ』って、く、クーは、クーはっ、かんけ、ない、って」(24ページ)

 

年上の異性に恋心や憧れなんかが綯い交ぜになった感情を抱きながら、構って欲しいような、でも、それを素直に打ち明けるのは悔しいような、自分にはまだまだ幼さが残っていて情けないような、そんな青春の一コマを見事に体現しています。

お、俺にだって、そんな年頃のときがあったんだよね(遠い目)。

 

2.スプートニクの恋人

主人公の相手役(?)となるのが、スプートニクという男性。

 

これがまた反則でカッコいい。クールだし、細面だし、ツンデレだし、お酒も嗜むし、異性にはモテるし、ケンカは強いし、頭もよく回るし、手先は器用だし、物知りだし……実はメロンパンが大好物だし。挙げればキリのない「いい男」特性のオンパレード。

 「スプートニクくださいお願いします何でもしますから」って思いましたよ、わたしゃ。

 

そんな2人が物語の基軸におり、何やら深い事情を抱えていそうな言動がチラホラ。ドラマが生まれないはずもなく、そしてそのドラマがつまらないはずがない。そう予感させると同時に、読み進めていくと、心がきゅんきゅんほんわかするストーリに大満足は間違いありません。

ところで、お2人は同居中なんですけど、どうして過ちが起きたりしないんですか? それともアレですか、もう養子縁組は済ませてしまっているとかいうことですか?

 

3.クリューは「おんなのこ」

さて今回、読みながら興味深く感じた箇所は、「おんなのこ」でした。本作のタイトルは『宝石吐きのおんなのこ』です。宝石を「吐く」まで漢字で表記されているにもかかわらず、タイトルは「おんなのこ」とひらがな

 

――なぜだ

そう思ったんです。

 

ページをめくって章構成を確認してみると「宝石吐きの女の子」とある。ここはひらがなではない

誤植だと考えるのが、一番簡単で分かりやすい仮説ではあるでしょうが、そう考えるのは早計です。本作の隠れた魅力でもある、凝った表現や言い回しが、その仮説を支持しないからです。

読んでいただければ分かると思うのですが、常用かなづかいに従うのであれば、漢字では書かないであろう単語や言葉が、頻繁に登場します。たとえば、次のような表現がたくさん見られます。

 

「欠伸(あくび)」

襤褸(ぼろ)を着せられ……碌(ろく)に与えられず」

「煙草(たばこ)を一本とりだし、咥(くわ)える。燐寸(マッチ)で火を点(つ)け」

「青褪(あおざ)めて」

「悪戯(いたずら)だろうかと訝(いぶか)しく思いながら、摘まんで毟(むし)り」

「至極真面目な顔で頷く阿呆。抱いた隻眼の兎の表情」

 

明治時代の作家を彷彿とさせるような言葉使いは、作品のほんわかとした雰囲気と、奇妙な共存関係にあり、得も言われぬ魅力になっています。

 

で、私がここで言いたいのは、作者は自覚的にこのような言い回しを用いているし、言葉遣いに過誤を残すような真似はしないはずだ、ということです。

つまり、タイトルがひらがなであるのは「敢えて」だと解釈するのが妥当だと(もちろん作者1人だけではライトノベルは生み出せないので、断言はできないのですが)。

 

「女の子」と漢字交じりであれば、一般的には、人間の、年齢の若い、女性、を連想します。言葉の指示内容としては、小さな子どもから高校生くらいが含まれるかもしれません。それを敢えて、ひらがなで表記する意味は何なのか。

一般的な意味合い「ではない」ことを伝えるためではないか。すなわちクリューは、人間の、年齢の若い、女性、「ではない」と。

 

クリューは、作品紹介にもあるように、宝石を吐きます。比喩でも何でもなく、そのものズバリの意味で吐きます。ファンタジー世界に対して、こんな言い方は不適切かもしれませんが、一般的に人間は宝石を吐きません。他のキャラクターも宝石を吐いたりしません。あのドラゴンクエス○4のロザリーはルビーの涙を流しましたが、あれは人間ではなく妖精という設定でした。

 

大胆に言ってしまいましょう。

 

クリューも実は人間ではない。それはスプートニクが必死になって彼女を助けようとする、本当の理由とつながっている。彼女が誰よりも、素直で、純真で、感情豊かで、幼児体型あるという設定は――彼女が人間ではないという解釈を前提にすると――とても意味深なものに見えてきます。

 

そして、章のタイトルが漢字だったのは、「まだ」人間の女の子だから。

クリューという主人公は、「まだ」1巻では人間として登場し、読者にも人間として読んでいる。それが後続巻では人間でないことが判明し、スプートニクとの力関係は逆転し、劇的な人間ドラマにつながっていく――そう私は睨んでいます。

一体、どんな事情が潜んでいるのか。それをめぐって2人はどんな葛藤を経験し、苦難に挑戦し、かたい絆で結ばれるのか。

 

続きがよみたい。後続巻が楽しみで仕方がない。

新しい時代のライトノベルを感じさせる、ほんわかファンタジー作品です。ほっこりしたいけれど、安っぽいのは嫌だ。そんな方には、心から一読をおススメします。

(文責:じんたね)

 

次回予定作はコチラ。

久住四季(著)・甘塩コメコ(イラスト)『トリックスターズ』(電撃文庫、2005)