ライトノベルは斜め上から(43)――『LAST KISS』

こんばんは、じんたねです。

今日は遅れての更新になります。

 

本日注目する作品はコチラ! めっちゃ読みながら涙でそうでこらえてた。

LAST KISS (電撃文庫)

LAST KISS (電撃文庫)

 

 

 

 解題――近親相姦は克服してはならない

 

 

1.作品概要

 “私が死んだら、お兄ちゃんはきっと泣くと思います―”重い病気を持つ中学二年の井崎由香。夏休みに一時退院した彼女は、これまでほとんど接触のなかった兄の智弘とともにひと夏を過ごす。生まれて初めて兄に買ってもらった帽子、二人で出かけた六甲山上の植物園、兄の幼馴染のかんネェに連れていってもらった須磨の海。何気ない日々の中で、少しずつ兄への気持ちは形を変えていく。やがて訪れる悲しい結末は変えられないと知りながら…。

 

 

2.ついえるまでの猶予期間

本作品は、とてもシンプルな構成であり、必要最小限のキャラクターしか登場しません。高校生である主人公が、夏休みに入ったある日、中学生の妹が退院するということで病院に向かうところからシーンは始まります。

 

それから甘えん坊の妹に振り回されながら、幼馴染も交えながら、海にいったり山にいったりして、最後には病院に戻る。時系列でいえば、それだけのストーリーです。

 

ここからはネタバレになりますので、もし気になるかたがいれば、回れ右をしてください。発売日から時間も経っているので、ネタバレを気にせずに、これからは書き進めます。

 

この中学生の妹は、実は、兄と血のつながりがありません。妹は、あこがれに近い感情を抱きながら、兄を異性として見ています。甘えん坊に思えた言動は、異性として自分を見て欲しい、独占したい/されたいという態度の表れであると、ストーリーが佳境になるにつれて分かるようになっています。(ただ、そのまま読めば、「アレ」と思う箇所が多く、すぐに気づくかと)

 

幼馴染と妹は――お互いに友情を抱きつつも――主人公をめぐって水面下では奪い合いをしたりと、なかなかさわやかな争いが起きています。

 

妹は骨髄の難病にかかっており、余命いくばくもない状況。物語の終盤で亡くなってしまいます。そのとき兄に、次のように要求します。キスして欲しいと。これがタイトルの回収になっています。

 

妹は退院した頃から日記をつけており、それを最後の最後で、自分が亡くなったあとに、主人公に読ませます。物語全体から寂寥感があふれており、紛れもなく、この時代から生まれた名作であることが分かります。・・・ほんと悲しい

 

 

3.兄弟が結ばれてはならない時代

さて本作品が、胸を締め付けられるような気持ちにさせるのは、兄妹が結ばれてはならないという暗黙の了解を、キャラクターの全員が抱いているからでしょう。

 

妹のキスして欲しいという要求に、最初、主人公は拒否反応を示します。自分たちは兄と妹なのだから。そんな異性同士の関係になってはいけないと。たとえ血が繋がっていなくても。それは妹自身も分かっていながら、それでも想いをぶつけています。

 

幼馴染の女の子は、余命いくばくもないのだからキスくらいしてあげればいいと言ってはいますが、それはあくまでも、もうじき亡くなってしまうという前提があります。もし不治の病に侵されていなければ、恋のライバルであるという「以前に」、兄と妹という間柄の不義として、難色を示したことでしょう。

 

物語の最後の最後。もうその日しか生きられないという場面。妹の思いに気づいた兄である主人公と、こんな会話をします。

 

「……由香、お兄ちゃんのこと好きだよ……」

「ありがと……、でも俺……」

「……うん。お兄ちゃんはかんネェが好きなんだよね……」

 ……俺、由香の気持ち、なんで受け止めてやれんのやろ……。(286ページ)

 

 

ここで妹は、兄が幼馴染を好きだから、自分を受け入れてくれないと言っています。ですが、それは言葉の表面でしかありません。兄が、「かんネェ」(=幼馴染)のことを好きだろうとそうでなかろうと、妹が妹だから妹としてしか好きになれない妹ではない他人の異性である幼馴染なら好きになれる――その壁のことを、妹は指摘しています。

 

ゼロ年代に、リアルの妹と結ばれる系譜ライトノベルが大量に生まれ、支持を集めました。それらの作品は、本作品のように、兄妹としての不義に対する、心の葛藤を描いてはいません――というのは言い過ぎですが、その葛藤が主題としては扱われていませんでした。他の恋のライバルとの鞘当てであったり、親や世間の視線であったりは考慮されていたとしても、当人たちがお互いに好きであることに違和感を抱いていたり、自分を責めたり、ということは描かれていません。

 

ここには、かなり時代性が反映されていると言えるでしょう。それは翻って、今の私たちがどう考えているのかを照らし出してもくれています

 

 

4.救えたかもしれない妹の命

これもラストシーンの話になります。兄妹の父親は、骨髄移植をするためにドナーを探し歩いていたため、妹の臨終に対面できないという、とても切ないシーンがあります。妹が亡くなった丁度その日に、父親が病院にかけつけるのですが間に合いません。ここは読みながら、悲しい気持ちになりました。

 

そして主人公は悲しみのあまり涙にくれます。幼馴染にも慰められながら、妹に託された手紙を読んで、再び涙します。

 

ここ、私はひっかかりを覚えました

 

妹が亡くなった原因は、その日に無理をして、急激に体力が低下したからではないかという主人公の独白があります。その要因のひとつは、主人公と妹が二人っきりで屋外に移動したからです。そこでラストキスが交わされるのですが、どうして主人公は自分を責めなかったのか。

 

もし外出したいという要望を蹴って、病室で二人っきりになっていれば。キスもしただろうし、体力の低下も防げ、父親の朗報に間に合ったかもしれないのに。

 

そういった呵責が主人公には見られませんでした。もし私が主人公と同じ立場であったら、そのことに耐えられないでしょう。幼馴染に慰めてもらおうなんて、厚かましい気持ちになれません。だって、自分が妹を殺してしまったのかもしれないのだから。

 

もともと、主人公の独りよがりな考え方や、妹の気持ちに気付いてあげられない鈍感さに、私が共感よりも苛立たしさを感じながら読んでいたことも、理由にあるかもしれません。

 

ここの引っかかりは、ですが、ある理由を踏まえれば、解消されます。

 

主人公と妹は、兄妹なんです。この先、妹が生き残っていったとしても、この世界の価値観にしたがえば、二人は結ばれません。それは果たして幸せなことなのか。どうやって血のつながっていない2人が、お互いの関係に決着をつけられるのか。あまり喜ばしい展開はないでしょう。

 

兄妹は結ばれない――この前提があってこそ、妹の死は必然になります。そのことを主人公も幼馴染も分かっていた。そういうことなのではないでしょうか。それが作品を駆動するドライブとして、軽い一人称の文体に、物悲しくも切ないテイストを加えています。

 

悲しい気持ちに包まれながらも、甘酸っぱい青春の香りがする本作品。ぜひとも20代後半になってから読んでみることをおススメします。・・・ほんま、切なかった。

(文責:じんたね)

 

さて、次回作ですが、コチラ!