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ライトノベルは斜め上から(32)――『剣と魔法の世界ですが、俺の機械兵器は今日も無敵です。』

こんばんは、ほろ酔い気分のじんたねです。

本日の作品は、こちらになります。 

剣と魔法の世界ですが、俺の機械兵器は今日も無敵です。 (HJ文庫)

剣と魔法の世界ですが、俺の機械兵器は今日も無敵です。 (HJ文庫)

 

 

解題――死ねない凡人、死ねる超人

 

1.作品概要

魔法が使えない? それなら機械兵器で殲滅すればいいだけだろ?
老衰以外では人が死ななくなった世界で唯一、怪我や病で死ぬ可能性がある少年エイジ。
しかも彼は全人類が使える魔法すらも扱えない異端者だった。
そんなエイジが十年前に手に入れたのは、多種多様な機械兵器の作成が可能な《工房》と、その管理者たる狐耳の少女テンコ。
彼女の主に選ばれたエイジは、今日も自作の機械兵器を駆使し、立ちはだかる敵を残らず殲滅する!

 

 

2.死んでもしなない一般市民と、死んだら終わりの主人公

本作品は、いわば「あざとい」設定とキャラがてんこ盛りで、とにかく安心して読めるクオリティだと思います。ちゃんと美少女であったり、剣と魔法であったり、狐耳であったり、ガーターベルトであったり、穿いてないガーターベルトであったり、やたらディテールのおかしいガーターベルトであったり、とにかくガーターベルトな作風です(?)

 

作品の世界観を、そのなかでも強く規定しているのが、ガーターベル・・・じゃない、死んでも蘇ることができるという設定です。細かい話はさておきますが、生き返ることが難なく実現されてしまう。頭をつぶされても、身体を真っ二つにされても、教会で復活するさいの酷い苦痛を度外視すれば、とくにデメリットなく復活します。RPGで死んでも大丈夫な勇者パーティーといった趣です。

 

それとは反対に、俺TUEEEEな主人公は、簡単に死にます。いや死んだら物語が進まないのですが、そういう設定です。だから命をとして戦う姿がカッコイイし、それにヒロインも心動かされるということです。

 

しかし、考えてもみれば、死んでもOKな人生とは、どんな人生なのか。不老不死モノの設定では、生きることが退屈だったり、生命を大事に考えないような、吸血鬼や神様が登場してきますが、それがデフォルトの設定になっている。

 

何もしない

 

それがきっと作者の判断なのではなかったか。死なないからといって、多少は暴力的になったり、生死を軽んじたりするけれども、おおむね普通に暮らし続ける。そんな奇妙なリアリティに支えられている作品です。たしかに、何にもしないかもなぁ、と読みながらしみじみと感じてしまいました。

 

それが証拠に、多くの一般人は、それこそ普通に暮らしています。明日への希望を謳ったり、過去への絶望を吐き捨てたり、といったことはなく。平均寿命が延びた現代日本人が、それ以前にくらべて変わった事をしているか、いや、していない。この事実に鑑みると、ここにはかなりのリアリティと面白さがあると思われます。

 

 

3.手堅い文体

さて、剣と魔法とラブコメとてんこ盛りな作品だと述べましたが、その文体は、どちらかといえば堅いほうに属するでしょう。堅いからといって読みにくことはさらさらなく、過不足なく状況を説明してくれるので、むしろすらすらと読んでしまえます。

 

もちろん俺がTUEEEので、その強さを強調するためにカッコイイ文体をチョイスしているという事情もあると推察していますが、おそらくライトノベルライトノベルと呼ばれる前の、ライトノベルの空気を知っている人間でなければ、こうは書けない。私のような年齢のラノベ読みには、もう、懐かしい気持ちでいっぱいになります。ああ、よかったって。

 

その手堅さは、実は、文体のみならず、作品の「死なない/死ねない」設定の背後を描き出すときに、とても効果的に作用しています。ありていに言えば説得力がありますし、別風に言えば、作者の世界観が透けて見えてくる。

 

作中の人物が『時計仕掛けのオレンジ』という不朽の名作について説明している箇所があります。

 

「そうね。犯罪が出来ない体になったわ。けど、それって善かしら? 自分で選択したわけじゃないのよ。本当はヴァイオレンスを欲しているのに、ルドヴィコ療法のせいで出来ないだけ。奪われただけ。ねえ、これってまるでウルティマラティオ[本作の世界の名前:じんたね注]みたいじゃない? 私たちに選択肢はない。……ええ、優しい世界だわ。けど、それがどうしたの。選択肢を頂戴よ。私は私でいたいのよ。時計じかけなんてまっぴらご免だわ!」(180ページ)

 

ここを読めば、死ねないことがどういう結論になるのか。一般市民とは別のキャラクターに語らせていますが、死ねるということは、やはり、悲しいけれど意味があることなのだということが示されています

 

これは物語に置き換えると、よく分かる。私たちは面白い小説を読むとき、これがずっと終わらなければいいのにと感じる。けど、本当に終わらない小説は、実は、小説ではない。終わりをただ遅延し続ける物語は――人によって感想は異なりますが、とりあえずはじんたねの感じるところで――緊張感を剥奪します。

 

終わらない物語があったとしても、それは終わりに向かっているのだということが、読者には信じられていなければならない。でなければ、何に向けて盛り上がればいいのか、キャラクターたちが苦労しなければならないのか、理解するための位置づけを失ってしまうからです。あのアリストテレスだって物語の定義として、はじめと、中間と、終わりがある、って言っているくらいですし。

 

他にも、死んでも生き返るから、市民を見殺しにしても大丈夫だとうそぶく騎士にむけて、こう言い放っています。

 

……ここで我々が真っ先に逃げては、人は離れていくでしょう。法律や経済よりもまず、信がなければ国はなりたたないのですから! 死んでも生き返るというのであれば、なおのこと命を張って国民を救いなさい!」(201ページ)

 

ここに、命よりも名誉をとれ、という態度をみつけるのは簡単でしょう。もちろん、作者とキャラクターの思想は、イコールではありません。むしろイコールにならないことがほとんどです。

 

ただそれでも、生き長らえるだけよりは、別のなにかを選びとれ。このモチーフが、設定から、キャラクターから、すべてから見え隠れしています。

 

 

4.おわりに

ここからは邪推でしかないですが、きっと不死のキャラクターは、主人公に動かされ、一度は不死をすてるという選択肢を選ぶのではないかと思っています。それが結果として、主人公と対等の立場に立つことになり、それが終盤のドラマになるのではないか。

 

続巻待ってます。あとガーターベルト!!

(文責:じんたね)

 

次回作は妹株です!