ライトノベルは斜め上から(24)――『黄泉比良坂は遠く』

こんばんは、じんたねです。

熱燗が恋しい季節がやってきましたね。

 

さて、本日取り上げる作品はコチラ!

www.pixiv.net

 

pixivというイラスト投稿サイトで知られる場所にある、名作群のうちの1つです。いずれは削除すると作者様はおっしゃっているので、早い段階での閲覧を、強くおススメします。

 

 

解題――死は、死より、重く

 

 

1.作品概要

本作品は、ホラー、ミステリー、コメディそれぞれの要素が、絶妙に混じり合った推理仕立てのストーリー、とひとまずは形容できます。が、これはこの作者にしか書けない世界観であるため、まとめてしまうと、酷く歪になってしまいます。

 

説明の方便のためにまとめますが、ストーリーは、謎の手紙からスタートします。そこには自分は死ぬけど心配するなという、やや身勝手な言葉が綴られていました。私のいるところは、本当は手紙など出せないけれど、入ったら出られないところだけれど、望んで死ぬから大丈夫だと。

 

そして続くシーンでは、不思議なハサミを携えた、わけあり風の少年の一人称からスタートします。彼は、飄々としていて、隙もユーモアもあるのですが、どこか腹の底で笑っていない、視線が焦点を結ばない、ぷいっと消えてそのまま行方をくらましてしまうような、怖さを持った人物です。

 

そんな彼が訪れるのが、黄泉比良坂

生と死の端境に存在する、えも言われぬ、幻想的で重苦しくて、なお郷愁ただよう村落。

 

そこには様々な魅力的なキャラクターが登場しますが、基本的には、ライバルが1人います。その人物と主人公とのやりとりが、プロットを前進させます。

 

ライバルの説明によれば、黄泉比良坂には、人間社会で居場所のない、自死を望んだ人々が集まる。だが、それらの人々は死を前にして自決することができない。かといって生き続けることも苦しい。そんな「半端者」たち。

 

黄泉比良坂には、そもそもそこに住まう異形の住人たちがひしめいています。彼ら・彼女らは、いわゆる妖怪の外見をしており、この世の暗いものを引き受けたがために、そんな姿になってしまった。だが、ここにくる人間と同じように、彼らも「半端者」。ちゃんと人間を殺してランクアップ(?)したり、強い妖力があるわけでもない。

 

ここで共犯関係が生まれます。自決しきれない人間を、異形のものたちが殺す。そうすることによって、異形のものたちは妖怪へ、人間は果たして死ぬことができる、と。

 

黄泉比良坂に迷い込んだ主人公が、この世界の謎を解き明かし、最後にどのような結末を迎えるのか。まだ完結していない作品ですが、今からラストが待ち遠しい、そんな内容です。

 

 

2.2つの死

本作品を考えるにあたって、2種類の死(あるいは生)を分けてみることが、簡便で有益だと思います。

 

まず1つめの死。これはいわゆる生物学的な死を意味します。心臓が停止したり、酸素がなくなったり、身体が潰されたり。そういった物理的に生命を維持できない状態になる意味での死です。

 

そしてもう1つめの死。これは社会的な死と解釈されます。世間に顔向けできない酷いことをした。村八分にされた。学校でいじめられて居場所がない。会社で上司に睨まれて立つ瀬がない。家庭では相方になじられる。能力も才能もなく、周りから見下されている。そんなときに感じる不安感と言い換えてもいいでしょう。ハイデガーの不安概念でもいいし、マズローの所属欲求の欠如でも、どう表現してもいいですが、この世にまったく自分は歓迎されていないという意味での死です。

 

2つの死について補足をしておきますが、たいていの場合、前者より後者のほうが、圧倒的に辛いものです。つまり身体が死んでしまうよりも、社会的に死ぬほうが、苦痛である。自殺願望のある人間に、「生きていればいいことがある」「なにも死ぬことはない」といった説得の言葉が、無効になりがちなのは、後者の死の重みを踏まえていないからです。

 

他者との関係性をまったく遮断されてしまう恐怖に耐えられないからこそ、そこから逃げたい一心だからこそ、生物学的に死んで、社会的な死を回避しようとしているのですから。前者を説得の理由に用いたところで、功を奏さないのは自明の理。

 

黄泉比良坂に迷い込む人間や、そこに住まう異形のものは、生物学的には死んでいませんが、社会的には瀕死の状態にあります。どこにも居場所がなく、追いやられ、でも辛うじてつながりを保っている。来る側も迎える側も、社会的死を恐れ、生物学的に決意できない、その間にいます。まさに黄泉比良坂。

 

さて、この図式から見ると、主人公とライバルとが、際立って両極端で正反対であることが見えてきます。

 

主人公は(ネタバレになるので詳しく言えませんが)、きわめてエキセントリックです。社会的には、間違いなく死んでいる。単に、生物学的な命を長らえているだけの状態です。こう言ってよければ、彼が一番の異形でしょう。

 

それゆえ彼は、ひどく社会的な生命に憧れを持っています。何としても認められたい、居場所を得たい。そんな焼けるような衝動をうちに秘め、狂喜=狂気の生をつないでいます。自分を理解させようと、他者の生物学的な生を奪うに等しい行為を行い、社会的な生こそが大事なのだと訴えて止みません。彼の懊悩は反転し、自分を受け入れない社会こそが悪であるという、立場をとるようになっています。

 

反対に、ライバルのほうは、社会的に生きています。黄泉比良坂の住人として、周囲の取りまとめ役を務め、それなりの認知を受けています。だが、食・睡眠・性などといった生物に必須とされる欲求を持っていません。異形の存在でもあるライバルは、いわば生物的に死んでいる状態といえます。

 

そんな両者が、反目し合いながら、強く惹かれあうのは、自明の理といっていいでしょう。

 

 

3.自分探しの旅

主人公とライバル。極端な生と死にあるため、その行動原理もはっきりしています。自分にとって欠けている生を、2人は求めている。

 

主人公にとっては何より、社会的な生を獲得することがすべてです。それは黄泉比良坂という、小さな社会集団を変容させ、自分を認めさせる戦いをしなければならないことにつながる。

 

黄泉比良坂には、とある神様がトップとして君臨しているのですが、最終目標はその地位と入れ替わること。あるいは、黄泉比良坂それ事体を破壊してしまうこと。いずれかでしょう。破壊してしまえば、再び、主人公は自分が社会的に死んでしまっていることを認めなければならず、あらためて苦悶の日々を経験しなければならないでしょうが。

 

ライバルにとっての目的は生物学的な生を獲得すること。それは生物学的な死をもたらしている黄泉比良坂という場からの解放、あるいは黄泉比良坂それ事体の消滅を意味します。実際、ライバルは黄泉比良坂のありかたに疑問を抱きながら、それに依存している。社会的生を謳歌しながら、生物学的な生を得ようとしている、と解釈すれば、すっきりします。

 

ライバルは黄泉比良坂を捨てて、人間社会に出て行くか、あるいは黄泉比良坂に生物学的な生を持ち込むことを目指すはず。持ち込むというのは、つまり、生物としての人間のありかたを、食・睡眠・性の解放を目指すという意味です。

 

気づきましたよね。

 

そう、主人公とライバル、黄泉比良坂それ事体の破壊や消滅、という点で目的を共有しているんです。だから2人は、イヤイヤながらも、行動を共にしている。

 

だがら、ストーリーは黄泉比良坂の謎を解き明かし、新しいシステムを目指すことになるはずだと睨んでいます。

 

どちらか一方が欠けても駄目だろうし、現状のままでもいけない。2人の関係にも、そのドラマを通じて終止符が打たれるだろうと考えています。

 

 

4.ホラーな描写には要注意

最後に。

本作品の説明には「異世界系主人公ツエー系」とありますが、嘘じゃないけどそれどうなんだよ、ってツッコミを入れたくなるような描写がたくさんあります。

 

そりゃ異世界だけどね?

主人公無敵だけどね?

意味違うくない?

 

けっこうな数の人間が登場するのですが、けっこうな確率でエグい殺され方をします

そういう描写に耐性のない方は、気をつけてください。

 

ただ、それを差し引いたとしても、本作品の素晴らしさは消えない。本当にオススメしたい。こんなに面白い小説がタダで読めるなんて信じられない。いずれは世に評価されるであろうことを、ここで私が宣言しておきます。

(文責:じんたね)

 

追記:作者によるキャラクター紹介だと、私が「主人公」だと言ってきた少年は、主人公ではありませんでした。。。ま、まあ、うん、ごめんなさい。

 

さて、次回の予定はこちらになります。

ある朝目覚めたらぼくは ~機械人形の秘密~ (集英社オレンジ文庫)

ある朝目覚めたらぼくは ~機械人形の秘密~ (集英社オレンジ文庫)