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ライトノベルは斜め上から(6)――『スプライトシュピーゲル』

こんにちは、じんたねです。

今回のブログは、何日も前に書き終えていたこともあり、お昼の更新になります。

 

そして注目の作品はコチラ!

 

 

解題――あり得た別のカタチ

 

1.内容紹介

蒼い空を翔ける三色のライン。紫の少女―鳳/アゲハ。蒼の少女―乙/ツバメ。黄の少女―雛/ヒビナ。近未来のウィーン、ミリオポリスと呼ばれるその都には、あらゆる言葉が飛び交い、人々はさまざまな神を信じ、そして、くだらない争いに巻き込まれ命を落としていた。日常の間の中で―。そんな、混沌の中で生きる三人の少女たちがいた。機械化された身体を持ち、最新の官給品として、敵を貫く弾丸。「炎の妖精」たち。地下深く静かに流れていた泥流・テロが顕在化した時、三人の弾丸に、命令が下る。敵を貫け!破砕せよと。これは、天に唾をしながら、未来をあざけり、日々を生きる妖精と呼ばれた少女たちの物語。

 

2.そぎ落とされた文章=記号性

本作品は、近未来SFの設定です。現代社会をパラフレーズしたような国際政治情勢をバックとして、主人公の少女たち3人が、バトルを繰り広げながら、涙ありサービスシーンありの、ドラマを繰り広げる話です。

 

こうして要約されてみれば、本作品は堅牢なプロットが組まれており、奇をてらったものであるというよりも、とてもオーソドックスなものであると気づきます。ですが、ページを開いた途端、その「奇をてらった」文体に、おそらく誰もが驚かされることとなるのです。引用してみましょう。

 

「さ―――ぁ♪ 答えはどれだと思いますかしら♪ 乙さん、雛さん?」

 少女Aの呼びかけ――通りに面したカフェ。

 同席=少女B+C――反応なし。

「はー……超良い天気。超ばっくれてー」

 少女B=乙――鮮烈な蒼い目/鋭角的ツインテール/すらりとした脚/青いスカート/ニーソックス/エナメル靴。

(中略)

「…………」

 少女C=雛――淡い琥珀の目/金色のショートヘア/黄のリボンタイ/細い脚/芥子色のスカート/ストッキング/エナメル靴(7ページ)。

 

物語の冒頭、核となる3人のキャラの登場からスタートしている箇所ですが、決して、改変しての引用はしていません。本当のそのまま、この文体で書かれています。

 

「=」でキャラクターや場面の状況を説明し、

「/」で同じ対象を、別々の角度から描写し、

「――」で2つの場面、2つの表情が、前者から後者へと切り替わることを示し、

「AB」で匿名の状態にあるキャラクターを指示する

 

たった1頁で、3人の濃いキャラを描写し終えているのです。これは記号を用いることによって文字数を省略できているためだと考えられます。

 

これだけではありません。銃火器の発砲を表現しつつ、ルビに「ダダダダダダ」とつけたりしています。「無線通信」に「ウィスパー」というルビをふってSFの世界観を表現したりすることは、ライトノベルであれば珍しいことではないのですが、効果音を――しかもこれでもかというほど一ページ全体を埋め尽くすほど――ルビに用いるケースは、とても珍しいものです。

 

あるいは新しいキャラクターや建物が登場すると、それをゴチックで区別したりと、その記号的表現は留まるところを知らないのです。先に引用した「少女B=乙」「少女C=雛」もゴチック体です。

 

3.記号としての文章

本作品を読むと、あらためて気づかされることがあります。それは「=」「/」も「てにをは」も、どちらも表現のための記号である、ということです。

 

一般的には、前者は小説には使われず、後者はよく利用されます(あんまりにも当たり前なので、何を言っているのか分からないと思うのですが・・・)。たとえば次の2つの文章を見てください。

 

(1)淡い紫色のショートヘアーを揺らしながら、名も知らぬ少女が、僕を見下ろしていた。

(2)少女A――淡い紫のショートヘア/揺れる――見下ろす/僕。

 

どちらも実は、同じことを表現しています。(1)のほうが読みやすく(2)はとっつきにくいのですが、それも慣れがもたらすものだと考えられます。プログラミングに慣れた人にとって < > が続く記号群は、違和感がないでしょうが、そうでなければ極めて読みにくいといった事情を考えれば、理解しやすいかもしれません。

 

ライトノベルの文体は、ほぼ中学生・高校生に読ませることを念頭において書かれていると考えています(今では20代や30代も含まれていると言われています)。若い人に読ませるためには、なるだけ平易な文体で、分かりにくい言い回しは避ける。そして活字に親しみ、そこから社会へと視野を広げていって欲しい。そんな狙いが込められていました。

 

(ちなみに「角川文庫発刊に際して」には、若い文化力の衰退が、第二次世界大戦の敗北によって明らかになった、とあります。文化が戦争に対してどれほど無力であったのか、出版人が責任を果たせなかったのが理由だ、という趣旨のことが書かれています)

 

誰にでも読めてメッセージに誤解がない。それを突き詰めていくと、いつ、どこで、どんな若者が読んでも「同じ」意味が伝わる表記を目指すことになる。極端な話、日本語に縛られるだけでなく、「=」「/」といった脱文脈性な記号を使って、もっと広がりをもたせたほうがいい。

 

これは仮説――というよりも妄想ですが、ライトノベルライトノベル性を突き詰めていったらどうなるかそんな思考実験の産物として、私には『スプライトシュピーゲル』が見えています。

 

4.ライトノベルの『お約束』

とはいえ、本作品のような文体を用いるライトノベルは、私の読んでいる範囲内では、他に見当たりません。あまりにも記号性が強いため、とっつきにくかったのだと考えられます。

 

私、これまでライトノベルは結構読んできたほうなのですが、本作品はそのページ数にもかかわらず、読み終えるのにとても時間がかかりました。文章から記号への変換作業が必要になったためです。

 

ですが、です。ライトノベルライトノベルと呼ばれるようになり、そこには独自の文化圏が生まれました。いわゆる『お約束』と言われるものです。詳しいことはコチラに書いたので、ここでは触れません。

 

jintanenoki.hatenablog.com

 

が、『お約束』はライトノベルを読まない読者にとっては、ときとして、とっつきにくさにつながります。

 

「読みやすさ」という内的論理にしたがって、ライトノベル性を追求した結果、ライトノベル文化圏に属さない者にとっての「とっつきにくさ」につながっている。

 

本作品の記号的表現を読むと、もしかしたらあり得た、ライトノベルの別のカタチだったのではないか。そんな気分になります。そしてそれらを駆使して、より面白い表現を目指そうとする人々が集うアリーナが、別の世界線には、あるのかもしれません。

 

5.ひっそりと記号が使われていない描写

記号性に特化した表現に特徴があると言いましたが、実は本作品、ときとしてそうではない描写が紛れています。それはキャラクターの過去であったり、関係性であったり、感情や思考の機微であったりします。

 

 ニナは無言――ぷいとそっぽを向く。相手を嫌っているというより、それが互いに慣れ親しんだ仕草という感じに冬馬には思えた。つまりそれだけ古くからの知り合いなのだ(223ページ)。

 

作者が、記号性に依拠するライトノベルを書きつつ、その可能性と限界をすでに知っていたのではないでしょうか。すなわち、記号性は記号であり、誰にでも分かる。反面、誰にでも分かることではない、感情や関係の機微については記号には収まりきらない、と。

 

こういった使い分けが、要所要所で見事になされており、読みながらうならずにはおれません。

 

作品としての完成度も当然ながら、その実験的・野心的な文体が、私たちの興奮を掻き立てる『スプライトシュピーゲル』。一読どころか二読、三読の価値ありです。

(文責:じんたね)

 

次回作はコチラを予定しております。