ライトノベルは斜め上から(44)――『はてな☆イリュージョン』

こんばんは、じんたねです。

目・肩・腰が痛いです。

 

この度の作品はコチラ! 挿絵がえろいよ!

 

 

解題――円満な家族像に見ゆるは、遠景の小宇宙

 

 

1.作品概要

中学一年生になったばかりの不知火真は、両親の知り合いの、世界的に有名な奇術師・星里衛に弟子入りするため上京する。子供の時に、星里衛・メイヴ夫妻のショーを見てから、真はずっと奇術師に憧れてきた。夫妻の娘・果菜(あだ名:はてな)とは幼なじみ。東京では、美貌の女怪盗が起こす事件が世間を騒がせていたが、はてなもいるし、不安はなかった。幽霊屋敷と呼ばれる星里家で、執事のジーヴスとメイドのエマに迎えられ、はてなとの再会を果たした真。はてなも大歓迎だったが、真と話がかみ合わず、ついには―!?ラノベ界最大のイリュージョン、開幕!!

 

 

2.To LOVEる

本作品は、ライトノベルというべきか、エロゲというべきか、ラブコメというべきか、矢吹健太郎的というべきか、それらの作品の系譜が丁寧に押さえられていて、まぎれもなくプロの仕事であることが、一目でわかります。

 

性に貪欲でないが無関心でもない主人公に、超がつくほどの美少女幼馴染。一つ屋根の下にくらしながら、日々のイベントをこなし、誤解や理解を重ねながら、じょじょに近しい関係になっていき、ついに・・・という鉄板中の鉄板の展開を踏まえています。

 

文章もとても丁寧で、どのキャラクターが何をしたのかが必ず分かるように書かれてある。誤解されない言葉使いです。当たり前のようですが、誤解なく読ませる文章というのは、難しかったりします。それを難なくしてしまっているのも、本作品の魅力の一つでしょう。

 

 

3.円満な家族像

さて、本作品で注目したいのは、そういったお約束の要素をすべて無視した部分です。その辺であれば、私よりも適切に指摘できるかたがいると思いますから。

 

家族像。これが興味深いものでした。

 

ええと、エロゲといえば、ラブコメあるあるといえば、なのですが。主人公の父親と母親は影が薄いのがお約束です。海外に出張中だったり、よく分からない理由で自宅を空けていたりします。そうさせることで、だだっぴろい私空間を主人公は手に入れることができ、そしてそこに女の子を囲い込むことができるから。楽しいイベントに大人が介入しないですみます。当然です、これが正義で間違いありません

 

本作品も主人公に関しては、たしかに影が薄い。ヒロインの家族についても物語の重要な設定を担ってはいますが、全面に出ているわけではありません。その意味で、とりたてて奇異なことはない。

 

ない、んですけれど。

 

どちらの家族も、とても夫婦仲がよいんです。お互いにお互いを思い合っているし、その関係が崩れるような気配すらない。それだけではありません。お父さんとお母さんは、自分たちの息子と娘を、心から愛している。その愛情にブレはなく、これまた海よりも深く、山よりも高い。

 

どちらの父親・母親もユーモアを介し、当然のことながら美形で、大人の判断もできる。このうえなく、法外なレベルで、理想的な両親像として描かれています。その息子や娘である、主人公やヒロインも、とても伸び伸びとした性格をしている。単独でいれば、きっと事件は起こさないだろう。そう感じさせます。

 

「なんでこんなに完璧なの?」

 

そう思ったんですね、私。もちろんフィクションですから、それはまあ「そういう設定だからじゃない?」というのがベストアンサー。そこに疑問はありません。ただ、エロゲやらラブコメやらの鉄板を踏まえるなら、両親の話はあんまりしない。もしするのなら、目立たないように伏線に利用する、そんなところだと思っています。

 

ですが本作品では、そういったストーリーの役割以上に、家族の「円満さ」が設定され尽しています。非の打ち所がない。

 

 

4.秀麗眉目の小宇宙

どうしてなんだろうかと考え続けて、2日ほど経過してしまいました。今のところ、これじゃないかというのが以下のお話。

 

矢吹健太郎的、と上述しましたが、本作品の世界には、汚点がまったく存在しません。キャラクターたちはみな秀麗眉目であり、性格もよく、悪人も悪人ではない。世界は調和が保たれていて、物語の山場はありますが、事件らしい事件はおきない。

 

「ああ、ここは理想郷なのだ」

 

そう思いました。理想郷には理想しか存在しません。ユートピア、すなわちアン・プレイス=どこにもない場所、ですから。だから欠損や汚点(とされるもの)があっては、理想ではなく現実になってしまう。本作品、読者に対して、完全な娯楽フィクションを提示して、そこで楽しんでもらおうとする、潔癖なまでのエンターテイメント性が宿っている。だから、感情移入を妨げてしまうような、負の側面をもったキャラクターがいない

 

それはさらにキャラクターたちの家族にも及ぶほど。そういう理由で、家族すら完璧に描かれているのではないか。美しい世界に美しい住人が住まう。それは一枚の絵画を眺めているような体験であり、現世から隔世へとジャンプする快感をもたらす。それを体現してるのが、まさに本作品であると思われます。

 

本作品は、ライトノベルの到達点の一つである。そう断言できるでしょう。読者もそうですが書き手にも、本作品の一読をおススメします

(文責:じんたね)

 

次回は、こちらになります。

天命の書板 不死の契約者 (一迅社文庫)

天命の書板 不死の契約者 (一迅社文庫)

 

 

 

ライトノベルは斜め上から(43)――『LAST KISS』

こんばんは、じんたねです。

今日は遅れての更新になります。

 

本日注目する作品はコチラ! めっちゃ読みながら涙でそうでこらえてた。

LAST KISS (電撃文庫)

LAST KISS (電撃文庫)

 

 

 

 解題――近親相姦は克服してはならない

 

 

1.作品概要

 “私が死んだら、お兄ちゃんはきっと泣くと思います―”重い病気を持つ中学二年の井崎由香。夏休みに一時退院した彼女は、これまでほとんど接触のなかった兄の智弘とともにひと夏を過ごす。生まれて初めて兄に買ってもらった帽子、二人で出かけた六甲山上の植物園、兄の幼馴染のかんネェに連れていってもらった須磨の海。何気ない日々の中で、少しずつ兄への気持ちは形を変えていく。やがて訪れる悲しい結末は変えられないと知りながら…。

 

 

2.ついえるまでの猶予期間

本作品は、とてもシンプルな構成であり、必要最小限のキャラクターしか登場しません。高校生である主人公が、夏休みに入ったある日、中学生の妹が退院するということで病院に向かうところからシーンは始まります。

 

それから甘えん坊の妹に振り回されながら、幼馴染も交えながら、海にいったり山にいったりして、最後には病院に戻る。時系列でいえば、それだけのストーリーです。

 

ここからはネタバレになりますので、もし気になるかたがいれば、回れ右をしてください。発売日から時間も経っているので、ネタバレを気にせずに、これからは書き進めます。

 

この中学生の妹は、実は、兄と血のつながりがありません。妹は、あこがれに近い感情を抱きながら、兄を異性として見ています。甘えん坊に思えた言動は、異性として自分を見て欲しい、独占したい/されたいという態度の表れであると、ストーリーが佳境になるにつれて分かるようになっています。(ただ、そのまま読めば、「アレ」と思う箇所が多く、すぐに気づくかと)

 

幼馴染と妹は――お互いに友情を抱きつつも――主人公をめぐって水面下では奪い合いをしたりと、なかなかさわやかな争いが起きています。

 

妹は骨髄の難病にかかっており、余命いくばくもない状況。物語の終盤で亡くなってしまいます。そのとき兄に、次のように要求します。キスして欲しいと。これがタイトルの回収になっています。

 

妹は退院した頃から日記をつけており、それを最後の最後で、自分が亡くなったあとに、主人公に読ませます。物語全体から寂寥感があふれており、紛れもなく、この時代から生まれた名作であることが分かります。・・・ほんと悲しい

 

 

3.兄弟が結ばれてはならない時代

さて本作品が、胸を締め付けられるような気持ちにさせるのは、兄妹が結ばれてはならないという暗黙の了解を、キャラクターの全員が抱いているからでしょう。

 

妹のキスして欲しいという要求に、最初、主人公は拒否反応を示します。自分たちは兄と妹なのだから。そんな異性同士の関係になってはいけないと。たとえ血が繋がっていなくても。それは妹自身も分かっていながら、それでも想いをぶつけています。

 

幼馴染の女の子は、余命いくばくもないのだからキスくらいしてあげればいいと言ってはいますが、それはあくまでも、もうじき亡くなってしまうという前提があります。もし不治の病に侵されていなければ、恋のライバルであるという「以前に」、兄と妹という間柄の不義として、難色を示したことでしょう。

 

物語の最後の最後。もうその日しか生きられないという場面。妹の思いに気づいた兄である主人公と、こんな会話をします。

 

「……由香、お兄ちゃんのこと好きだよ……」

「ありがと……、でも俺……」

「……うん。お兄ちゃんはかんネェが好きなんだよね……」

 ……俺、由香の気持ち、なんで受け止めてやれんのやろ……。(286ページ)

 

 

ここで妹は、兄が幼馴染を好きだから、自分を受け入れてくれないと言っています。ですが、それは言葉の表面でしかありません。兄が、「かんネェ」(=幼馴染)のことを好きだろうとそうでなかろうと、妹が妹だから妹としてしか好きになれない妹ではない他人の異性である幼馴染なら好きになれる――その壁のことを、妹は指摘しています。

 

ゼロ年代に、リアルの妹と結ばれる系譜ライトノベルが大量に生まれ、支持を集めました。それらの作品は、本作品のように、兄妹としての不義に対する、心の葛藤を描いてはいません――というのは言い過ぎですが、その葛藤が主題としては扱われていませんでした。他の恋のライバルとの鞘当てであったり、親や世間の視線であったりは考慮されていたとしても、当人たちがお互いに好きであることに違和感を抱いていたり、自分を責めたり、ということは描かれていません。

 

ここには、かなり時代性が反映されていると言えるでしょう。それは翻って、今の私たちがどう考えているのかを照らし出してもくれています

 

 

4.救えたかもしれない妹の命

これもラストシーンの話になります。兄妹の父親は、骨髄移植をするためにドナーを探し歩いていたため、妹の臨終に対面できないという、とても切ないシーンがあります。妹が亡くなった丁度その日に、父親が病院にかけつけるのですが間に合いません。ここは読みながら、悲しい気持ちになりました。

 

そして主人公は悲しみのあまり涙にくれます。幼馴染にも慰められながら、妹に託された手紙を読んで、再び涙します。

 

ここ、私はひっかかりを覚えました

 

妹が亡くなった原因は、その日に無理をして、急激に体力が低下したからではないかという主人公の独白があります。その要因のひとつは、主人公と妹が二人っきりで屋外に移動したからです。そこでラストキスが交わされるのですが、どうして主人公は自分を責めなかったのか。

 

もし外出したいという要望を蹴って、病室で二人っきりになっていれば。キスもしただろうし、体力の低下も防げ、父親の朗報に間に合ったかもしれないのに。

 

そういった呵責が主人公には見られませんでした。もし私が主人公と同じ立場であったら、そのことに耐えられないでしょう。幼馴染に慰めてもらおうなんて、厚かましい気持ちになれません。だって、自分が妹を殺してしまったのかもしれないのだから。

 

もともと、主人公の独りよがりな考え方や、妹の気持ちに気付いてあげられない鈍感さに、私が共感よりも苛立たしさを感じながら読んでいたことも、理由にあるかもしれません。

 

ここの引っかかりは、ですが、ある理由を踏まえれば、解消されます。

 

主人公と妹は、兄妹なんです。この先、妹が生き残っていったとしても、この世界の価値観にしたがえば、二人は結ばれません。それは果たして幸せなことなのか。どうやって血のつながっていない2人が、お互いの関係に決着をつけられるのか。あまり喜ばしい展開はないでしょう。

 

兄妹は結ばれない――この前提があってこそ、妹の死は必然になります。そのことを主人公も幼馴染も分かっていた。そういうことなのではないでしょうか。それが作品を駆動するドライブとして、軽い一人称の文体に、物悲しくも切ないテイストを加えています。

 

悲しい気持ちに包まれながらも、甘酸っぱい青春の香りがする本作品。ぜひとも20代後半になってから読んでみることをおススメします。・・・ほんま、切なかった。

(文責:じんたね)

 

さて、次回作ですが、コチラ!

 

ライトノベルは斜め上から(42)――『天久鷹央の推理カルテ』

こんばんは、じんたねです。

最近は、ライトノベル以外をガンガン読んでブログに書いている気がしますが。まあ、いいじゃないか。

 

さて、本日のお題はコチラ。

天久鷹央の推理カルテ (新潮文庫nex)

天久鷹央の推理カルテ (新潮文庫nex)

 

 


解題――知性の演出

 


1.作品紹介

統括診断部。天医会総合病院に設立されたこの特別部門には、各科で「診断困難」と判断された患者が集められる。河童に会った、と語る少年。人魂を見た、と怯える看護師。突然赤ちゃんを身籠った、と叫ぶ女子高生。だが、そんな摩訶不思議な“事件"には思いもよらぬ“病"が隠されていた…?頭脳明晰、博覧強記の天才女医・天久鷹央が解き明かす新感覚メディカル・ミステリー。

 


2.ホームズとワトソン

本作品は、いわゆる犯罪があり、その謎を解くという、ミステリー作品になっています。舞台は病院であり、主要なキャラクターはずべて医療関係者になっています。

主人公はワトソン役の普通の男性であり、そしてメインヒロイン(?)はホームズ役の女医さんです。

 

女医です。ここは大事なところなので二回言いました。

 

謎解きには、専門的な医学知識が惜しげもなく使われていて、おそらくですが医療関係の仕事をしたことのある方が書かれたのではないかと思われます。専門的知識を自慢せずに、あたかも自然に謎解きに利用する手つきが、ブラックジャック手塚治虫を連想させます。

 

さばさばとした文体に、知的パズルを提供してくれる流れ、適度に説明される謎。どれをとっても気軽に読める高質なエンターテイメント作品だと思いました。

 


3.知性の演出

さて、本作品でわたしが興味を抱いたのは、天才探偵役のキャラクターの知性を、どうやって演出しているのか、ということです。

 

頭のいいキャラクターを描くのは難しいと言います。理由は簡単で、書き手以上に頭のいいキャラクターは原理的に描けないからです。

 

頭がいいとされている実在の人物や、どこかのフィクションのキャラクターの言動をそのままトレースする以外、書き手の知性を超えるキャラクターは描けない。

なのでホームズばりの人物を描くには、それなりに「お化粧」してアピールする技術が求められます。本作品にある、知性の演出には、次の3つが使われていました。

 

(1)知識量
これは女医さんが、大変な読書家であるという設定で補われています。読むジャンルも専門書に限らず、小説やマンガに至るまで。自宅として機能している部屋には、うず高く本が積もっています。

自分の知っていることや話したいことに話題が変わると、ひたすらずっとしゃべり続けるという設定もまた、その延長線上にあります。

(2)データベース
それだけの知識量があっても、的確に引き出せないと意味がない。ということで、それらの知識はデータベースとして蓄積され(記憶され)、いつでもどこでも、事件解決のために的確に引き出すことができることになっています。

(3)論理的=空気読めない
知識をたくさん蓄え、それを引き出せるとしても、うまく使えないと役に立たない。だから彼女は、とても論理的で客観的に考えられる人物として描かれている。

彼女は事件に出会うと、それにかかわる人物の心情や価値観、そういったものを顧慮しません。事件解決に必要な情報にのみ関心を払い、それ以外には目もくれない。俗にいう「空気の読めない」キャラです。本人も周囲もそう自覚しています。

 


4.「知性=人間味」ではない、というお約束

とはいえなのですが、頭がいいということを、(1)から(3)に限定すると、ひどく狭いことになります。

 

もしそれが知性だというのであれば、人工知能のデータベースが一番頭がいいことになりますし、電卓とセットになれば、計算速度だって早い。論理も間違えない。人間の知性を言い切るには、やや単純です。(もちろん、そういった側面を否定するわけではありません)

 

知性には、他にも文脈を編み直すという能力があります。

 

分かりやすいのでニュートンにしましょう。彼は万有引力の法則を発見したと言われています。リンゴの木からリンゴが落っこちるのを見て。これまでたくさんの人が、物が落下する様子を、何度となく見てきたのに、それまで誰も、それを法則として結びつけることをしなかった。

 

だけどニュートンはそれを科学という文脈において再解釈して、重大な発見につなげました

つまり、とある世界にとっては常識でも、別の世界にとっては非常識なことがある。その違いを知り橋渡しをすることもまた、知性の一つだと言えます。

 

そういった観点から見れば、ホームズである女医さんは、頭が悪い論理という規約の世界でしか知性を行使できないというのは、現実ではほぼ無能を意味しているからです。日常会話は、論理的には穴だらけ矛盾だらけであり、情報の正確な授受という図式で見れば、何のやりとりもできていない。会話すらできなくなります。

 

だから本作品は――素晴らしいんです。ここがキャラクターの魅力につながっているから。

 

ワトソンとホームズが事件を解決し、めでたく日常に戻るラストシーン。主人公は疲れ切っていて自宅に帰ろうとしますが、女医さんは一緒に飲もうと誘う場面です。そこで次の台詞です。

「そうか。ところで、ここに置いていくお前の愛車、落書きとかされないといいな」(123ページ)

分かりますね。私と飲まないなら、お前の愛車に落書きしてやる、と脅しています。とても可愛くて大好きな場面なのですが、

 

「おや?」

 

そう思いませんでしたか? 思ってくれないと話が進められないのですけど、まあ思ったことにしてください。さきほど、この女医さんは空気を読めないと言いました。人間の機微に疎く、論理や科学しか眼中にないと。

 

ここの台詞、とてもそんな人間が言えるようなものではありません。

 

もしそんな人物だったら、きっと論理的にこういうでしょう。「お前が帰れば、車は落書きされる。帰らなければ、車は落書きされない」と。とても可愛らしくも厭味ったらしいせりふ回しは使えないはずなんですね。

 

でも使っている。これは彼女が、実は人間味にあふれている、ということを裏書きしています

 

自分でも空気が読めないという発言を、寂しそうにこぼすのは、自分がどこかダメな人間であることを自覚しているという、人間味のある性格を表している。つまり、知的で高飛車な性格と、それとは好対照の人情味のある人物。それがメインヒロインであり、可愛くていい、という描かれかたにつながっているのです。

 

知性の演出。それはとても難しくもあり、面白くもある。
本作品を楽しみながら、いろいろと考えました。

(文責:じんたね)

 

さて、次回作はコチラ。

LAST KISS (電撃文庫)

LAST KISS (電撃文庫)

 

 

追記:ちなみに、その鉄板設定をあえて裏切ったりしているのが、森博嗣だったりしますが、まあそれは別の機会にでもお話しましょう。

ライトノベルは斜め上から(41)――『ひとつ海のパラスアテナ』

こんにちは、じんたねです。

二日酔いのせいで、ぐわんぐわんしてます。

 

さて、本日はコチラ!

ひとつ海のパラスアテナ (電撃文庫)

ひとつ海のパラスアテナ (電撃文庫)

 

 

 

解題――ライトノベルの皮をかぶった極限状況のルポルタージュ

 

 

1.作品紹介

それは、いつ終わるとも分からない。ボクの、『生きるための戦い』――。

すべての『陸』は、水底(みなぞこ)に沈んだ。透き通る蒼い海と、紺碧の空。世界の全てを二つの青が覆う時代、『アフター』。
セイラー服を着て『海の男』として生きるボクは、両親の形見・愛船パラス号で大海を渡り荷物を届ける『メッセンジャー』として暮らしていた。そんなボクに、この大海原は気兼ねなくとびきりの『不運』を与えてくる。
――『白い嵐』。
無情にも襲いかかる自然の猛威。それは、海に浮かぶ全てを破壊した。
愛船パラス号を失い、ボクが流れ着いたのは孤立無援の浮島。食糧も、水も、衣服も、何も無い。あるのは、ただただ広がる『青』。ここに、助けは来るのか、それとも――
それは、いつ終わるとも分からない。ボクの『生きるための戦い』。

 

 

2.ロストテクノロジー+セーラー服+百合

本作品、世界が海に沈んでしまった「あと」が舞台になっています。すでに大陸が失われ、海のうえで生活をし続けている。貨幣は存在しているが、地域によって異なるため、基本的には物々交換。海洋技術がなければ生きていけない。そんなサバイバルな世界観です。

 

主人公の彼女は、セーラー服をまとった、男の子(「子」は誤植ではないよ)っぽい人物。まだ少年と少女の淡いに存在していて、本来の意味での少女です。この世界では、セーラー服は、本来の意味でのセーラー服であり、男子が着るものとされています。作中では、セーラー服を着ていたがために、女に見られないという描写があり、とても感動しました。

 

 

3.ライトノベルを突き抜けて――クラインの壺

さて、本作品はライトノベルらしさを自覚的に裏切って、その内部から次へ進んでいる作品だと思いました。

 

当然ながら、「ライトノベルらしさ」というのは人それぞれでありながら、ぼんやりと一定数の人々が共有していると(されている)ものだと思うので、その中身を分析するのには、かなり骨が折れます。かくいう私だって、何がライトノベルで、ライトノベルらしいとはどういうことか分からないままなのですが、本作品、それでもライトノベル「らしさ」を、意図的に外してきていると感じました。

 

これは私がライトノベルを意識したらこうは書かないな、ということ「だけ」を根拠にしていますので、納得できないという方が、かなりおられることを承知のうえで、少しばかり駄文を並べてみようと思います。

 

まず、世界観はロストテクノロジー。言ってみれば、今の私たちの「あと」にある世界だと言っていいでしょう。二酸化炭素の排出量が増大して、南極(でしたっけ?)の氷が全部とけて、東京都は沈んじゃうんじゃないかっていうお話もありましたけれど、その延長線上で理解していいでしょう。

 

ロストテクノロジー設定の面白味の一つは、その世界で生きている人の理解や技術を「超えて」いるものがゴロゴロしていて、それが事件をきっかけに登場して、すげぇってなることだと思います。だって、ビビるじゃないですか、クレタの石板から光でてくてUFOを呼び寄せたりできたら。

 

なのですが、本作品では、そういったわくわくは排除されています。この世界で生き残るための原材料を提供している、あるいは部品の一部でしかない。そういった位置づけになっています。

 

他にも。本作品のメインとなるのは主人公と、彼女と一緒にすごす女性の2人です。その2人が、ただ海洋上を旅して、一緒にサバイバルをしていく。これって、すごくいいシチュですよね。どんなえっちなことさせようかって、私なら朝から晩まで妄想します(?)

 

だけど、この2人にはそういうことはおきません。もちろんサービスシーンはちゃんとありますし読者への配慮は抜かりなしなのですが、2人の関係は、端的に言って、近所のお姉さんと小学生、というものです。両者をつないでいる絆は、サバイバルするための頼れる他者であり、お姉さんは主人公にとって親代わりの存在です。おそらく作品のような状況になったら、こうなるだろうなっていうリアリズムに支えられています

 

あと、物語の冒頭で、主人公の旅は危機を迎えます。ずっと旅を共にしてきた存在が死に、その身体を食べることで命を繋ぎます。水分の確保のため、生きている魚の脊髄液を、そのまま飲んだり、あるいは、限界状況で人間が一週間ほどで死んでしまうのは――身体的には1ヶ月ほど維持できるはずなのに――、その絶望感に耐えられいからだという描写があったりまします。

 

ここには戯曲的要素、エンターテイメントとしての「嘘」が、ほぼありません

 

少しだけ話を脱線しますが、南極で一人で過ごしていたという人物の手記が、たしか小説として発表されていたと記憶しているのですが(タイトルも細かい部分も忘れてしまいました)、そこで気が狂わないために、一日にやるべきことを、できるだけ事細かに書き出して、そこにスケジュールを合わせるようにして、自分を保ったという話がありました。これを読んだときに、人間の本当のことをグサッとついて来る快感と恐ろしさを感じましたが、それと同じ鋭さが、本作品にはあります。

 

もっと有名なものでいえば、ロビンソン・クルーソーのお話。これはエンターテイメント作品として読まれていますが、よく読み込めば、かなりのことを言いきっています。無人島で足跡を発見するのですが、それが自分のものなのか他人のものなのか分からない。まったく他人がいない空間では、そんな単純なことにも疑いの気持ちが生まれ、それに呑みこまれ、まったく根拠のないところを進んでいかなければならない。

 

そういった首筋に刃物をぴとりと当てられるような、そんな怖さ=魅力があります。

 

主人公以外にも登場人物は、一癖もふた癖もある。誰もがサバイバルとしての哲学を持っていて、だけど可愛げがあるかといえば、必ずしもそうではない。正直、ちょっとお友達にはなれないなという人たちがいっぱいいる。これもライトノベルっぽくないと言えるような気がします。

 

ヨットで一人旅。あるいはバックパッカーとして世界一周の旅。そんな命が失われるかどうか分からない状況を生きて、それを小説にすると、きっとこうなるのではないか。もしかしたら本作品はルポルタージュの変奏曲なのではないか。そう思いました。

 

すでに2・3巻と続きが出されるようで、このルポルタージュがどこへ向かうのか。一読者として、大変興味をかき立てられました

(文責:じんたね)

 

さて、次回作はコチラになります。

天久鷹央の推理カルテ (新潮文庫nex)

天久鷹央の推理カルテ (新潮文庫nex)

 

 

ライトノベルは斜め上から(40)――『暴風ガールズファイト』

こんばんは、じんたねです。

酒もコーヒーも耐性がついてしまって、眠気覚ましの方法を募集中です。

 

さて、本日のお題はコチラ!

暴風ガールズファイト (ファミ通文庫)

暴風ガールズファイト (ファミ通文庫)

 

 

 

解題――この中に11人女の子がいる

 

 

1.作品概要

マリア様が見守る聖ヴェリタス女学院。高等部に進学した麻生広海は、親友との別れによる喪失感と何ら変わり映えのしない高校生活を前にすでに鬱屈していた。ところが!そんな広海の前に吹き荒れる五十嵐千果というちびっこい嵐!巻き込まれるがままなぜか高校ラクロス日本一を目指して立ち上がることに!…っつーかラクロスって何よ?ウチにそんな部あったっけ??汗と涙とド根性!空前絶後の美少女スポ根グラフィティ、待望の試合開始。

 

 

2.マイナースポーツというテーマ

本作品は、可愛らしい表紙からもうかがえますように、マリみての女子高よろしく、お嬢様学校で繰り広げられる女子ラクロス部の青春を描いています。

 

ラクロスといえば、女子ラクロスの、あの、華のあるユニフォームを連想しますが(少なくとも私はひらひらを連想する、ひらひらスカート)、そのルールについて深く知っているひとはあまり多くありません。私もあんまりしらない。

 

本作品は、女子ラクロス部を作るところから物語が始まり、そのなかでルールを説明して、読者に提供するような構成になっています。主人公がネットで調べた、練習するなかで基本的な用語を解説する、などといった工夫があり、読みながらラクロスへの理解を深められるようになっています。

 

 

3.サッカーだとイレブンって言うけれど

で、私は、本作品を読む前に不安がありました。ラクロスは集団競技です。チームで勝負し、チームで勝利します。だいたい、スポーツを取り上げる作品は、主人公の所属するチームに感情移入するものですが、ええと、11人います

 

一人ひとりキャラ描き分けるんだよね・・・1巻ってだいたい300ページだよね・・・収まるんか・・・?

 

そう思ったんですね、はい。単純に計算して、300を11、まあ10で割りましょう。すると30ページでキャラクターを魅力的に描かなければならない。そんなこといっても、物語には、始まり、中間、終わり、という流れがあるので、単純に紙面を割くことはできない。書ききれないんじゃないのかなぁ、なんて読んでみたら。

 

・・・やられた!

 

そう思ったんですね、はい。ははぁ、こうすればよかったのか、と驚いてしまいました。

 

最初の工夫として、主人公が全面に出てこない。基本的にはすべて主人公の一人称で話は進んでいきますが、それはほとんど、物語を見渡すレンズの役目を果たしている。各キャラクター一人ひとりに焦点をあてているため、レンズ自身は透明のまま。作品内では、表裏のある、けっこう性格的には「むむ」と抵抗を感じるような設定になっているのですが、それでも表にでる言動は、きわめて控え目

 

次に、キャラの記号を徹底的に利用する。あるじゃないですか。この外見のひとだったら中身はこんなだっていうお馴染みの記号が。本作品もそれを上手く使い分け、パッと読んで、そのキャラクターをつかめるように描かれています。

 

そして、目立つキャラと目立たないキャラを、腑分けしておく基本的には、2~4名程度の主人公たちしか会話を引っ張りません。そりゃそうですよね。11人が一辺にしゃべったら――女子ラクロス部なので当然考えられるシーンですけど――誰が誰やら分からなくなってしまう。「 」が11行あって、全部主語が違うというのは、読みにくいですから。

 

それら鍵となるキャラ数名に、口数の少ない部員を配置して、11人のキャラを立たせている。・・・そうか、こう書けばいいんだ。

 

 

4.スポーツで描かれるのはスポーツではない

本作品、ラクロスへの入門書としても読めるのですが、実は物語のクライマックス、ラクロスというスポーツの駆け引きは、あまり描かれていません。そのほとんどが、キャラクターたちの心理あるいは人間関係に特化しています。ストーリー上、そんなに早くみんなは上達しない(女子ラクロス部はできたばかり)というのもあるかもしれませんが、たぶん、そっちは大きな理由ではないでしょう。

 

スポーツ観戦を想像して欲しいのですが、私たちがスポーツを見るとき、その競技のうまさや面白さは当然のこととして、違うところを見てはいませんか?

 

たとえばスポーツ紙。誰々が何をした、何を考えている、誰と結婚した、年収はいくらだ。そういったプライベートなネタはつきません。そしてそんな知識をもってスポーツ選手のプレイを見ると、これまた一味違った見え方になります。

 

つまり、スポーツを見ると言うのは、実は、そのプレイヤーを見ている、もっといえば人を見ている。上手い人がプレイするのも楽しいけれど、面白い人がプレイするともっと面白い。

 

どんな小説も、結局は、書いている人が人間を好きかどうかを読まれている――という言葉を聞いたことがありますが、そのセオリーは本作品に当てはまりますし、まさにそれが魅力となっているでしょう。

 

人を描き出すとき、どうスポーツと関係して、笑ったり泣いたり成長したりしているのか。そこがやっぱり読みたいし、そこをやっぱり読ませたい。本作品は、そこを描いてくれています。

 

スパッツもいいけれど、女子ラクロスもいい。そう思わせてくれる作品でした。

(文責:じんたね)

 

さて、次回作はコチラになります。

ひとつ海のパラスアテナ (電撃文庫)

ひとつ海のパラスアテナ (電撃文庫)

 

 

ライトノベルは斜め上から(39)――『大陸英雄戦記』

こんばんは、じんたねです!

日本酒おいちい! 日本酒大好き!

 

さて、本日のお題はコチラ。

大陸英雄戦記 1 (アース・スターノベル)

大陸英雄戦記 1 (アース・スターノベル)

 

 

 

解題――ツンデレとは誰をして語らしめるものか

 

 

1.作品概要

 「俺」ことユゼフ・ワレサが現代日本から転生したのは、魔法のある中近世欧州風の世界。

しかも滅亡寸前の小国の農家だった!?

チートも無く、家柄も無く、魔力も人並みな「俺」は、祖国を救うために士官学校に入学。
ハードな戦争と政治の世界で大活躍する!

Webでの連載スタートから僅か半年で2,000万PVを獲得した人気の転生戦記が、ついに書籍化!

 

 

2.英雄戦記という命名に恥じない物語

本作品、異世界もののお約束を踏襲し、現世(日本)で生きていた記憶を持つ少年が主人公となります。その記憶を引き継いでいるため、知略に長けており、それを活かして名を残そうと士官学校へ入るところから物語は始まります。

 

そして士官学校には、ツンデレヒロインに、気のいい残念イケメンの友だち、とエロゲ必須の要素を散りばめながら、作品の背後で歴史が蠢いている。そんな筆致になっています。何度も場面転換が行われ、基本的には主人公の一人称ですが、そのシーンごとで人称も違ったりします。ストーリーが進むなか、徐々に主人公は年を重ね、友たちとも離れてくらし、再開しつつも成長していく・・・あ、これ、銀河英雄伝(げふんげふん)。

 

冗談はさておき、作品内で年を重ねたり、すぐに本編に絡まない背後の人間関係を動かしたり、ヨーロッパの中世から近代あたりまでの歴史をベースにおいた世界観は、かなりの重厚さを持っています

 

書きながらプロットを生み出しているというよりも、もともと脳内にある世界観をどうやって切りとって、文字として落としていこうか。そんな態度が見え隠れする作品であり、「はよ、続き、はよ!」と思わせられます。

 

ライトノベルといえば初動がすべて、という風潮がありますが、これはなかなかに痛し痒し。大きな世界観、重たい世界観、奥行きのある深い世界観。それを1巻だけで提示することは、文字数の関係で、実質不可能だからです。小出しにしつつも、どうしても1巻では回収できない伏線をいれないと、世界を構築できないから。

 

そういう意味で、本作品。初動で読ませる工夫がちりばめられつつも、大きな世界観を作り上げようとしており、大変、面白く、そして共感できる内容になっています。

 

 

3.ツンデレっていうけれど

ツンデレという言い回しはもう陳腐になっていますが、ツンデレキャラというのは、物語において鉄板。もっと一般的な言い回しを用いれば、主人公に好意を寄せる女の子がいて、それでいて素直になれない性格の持ち主。このキャラ造形は、そうすたれることがありません。嬉し恥ずかし焦らされ快楽原則をきっちり捉えていますから。

 

だいたい、好意をよせる女の子が素直だったら、もう一直線でゴールインだよね・・・それって100ページくらいで話し終わるよね、ラブコメだったらさ・・・。

 

で、で、なんですが、本作品にもツンデレ女子が登場しているのですが・・・違う、そうじゃない。本作品の本当のヒロインは、主人公(男)その人なんですよ! 分かりますか? もっかい言いますね、主人公が一番ツンデレしています! これがまたいいんだ。

 

証拠をお見せしましょう。これはツンデレ女子から壁ドンされて、いろいろ話しして、最後に「ありがとう」と言った直後のシーンです。

 

「……な、なによ! 気持ち悪いわね!」

 そう彼女は憤激すると、俺に向かって拳を向けて来……なかった。その代わり胸を軽く叩かれただけで終わった。おい、そんな中途半端なことするならいっそ殴って。(236ページ)

 

 

はい、分かりますね。ん? 分からないですって?

ええとですね、「気持ち悪いわね!」というツンデレっぷりは、このシーンの本質ではありません(何を言っているんだお前は)。注目すべきは主人公のツンデレなんです(だから何を言っているんだ、じんたね落ち着け)。

 

本作品、作品設定や魔法属性について、主人公の視点を離れている場合、おおむね堅めの文体で書かれています。もちろん分かりやすくかみ砕いてくれていて、するすると読めるものです。それとは対照的に、主人公の一人称がメインとなるシーンでは、本当に軽口ばかりの独白が多い。クスクスと笑えるものが続きます。

 

引用したシーン、主人公はヒロインから殴られないことに違和感を表明しています。それはこれまでの関係が殴る蹴るの連続という、これまた嬉し涙がでるM系男子の夢だったからです。そんな彼女が本気で殴らなかったのは、言わずもがな、主人公への好意を、わずかではありますが正直に表現して、それが態度に現れたからに他なりません。これまでのように照れ隠しが続いているのであれば、ここは壁にめり込むくらい主人公を一撃のもとに屠ったことでしょう。ひぃ、恐ろしい。

 

でも、それを素直に、主人公は受け取らない。「ありがとう」と言ったり、微笑み返したりしない。そりゃそうですよ、するはずがありません。だって主人公が一番のツンデレなんですから。暴力的な行動には出ないけれども、素直に気持ちを表現できないから。だから、「中途半端なことするならいっそ殴って」なんて感想を抱いちゃうし、それを口に出すこともない。「おい」と最初は強気に呼びかけておきながら(心の中で)、最後には「殴って」と丁寧な依頼文のカタチになっている(心の中で)。

 

 

ツンデレ男子きたぁー!!

 

と読みながら、これまでの重厚な世界観を放ったらかしにして、一人で萌えていたことを、ここに正直に告白します。

 

・・・ええと、真面目に話をしますが(?)、ツンデレ女子を魅力的に描き出すには、おそらくそれをとらえる一人称の視点もまたツンデレである必要があるのではないか。主人公に可愛げがあるからこそ、その視点に移るヒロインの言動もまた、可愛げのあるものに見え、それが一人称の文体として綴られていくのだから。

 

さっきの引用文で、たとえば「こいついきなり殴ってきやがった。軽くても痛いな」なんて冷静な一人称があっては、ヒロインのツンデレ感が激減するし、ツンデレであるかどうかも見えなくなってしまう。

 

だから逆説的にも、ヒロインのツンデレを可愛らしく描こうとすれば、その主人公をこそ可愛らしく描かなければならないという縛りが生まれるんじゃないかと、今さっき思って、こうして書き綴っています。

 

悪一先生、ごめん。こんな感想しか書けなくて。

(文責:じんたね)

 

さて、次回作はラクロスになります。

暴風ガールズファイト (ファミ通文庫)

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ライトノベルは斜め上から(38)――『L.A.T. 急襲!松北高校法律相談部①』

こんばんわ、じんたねです。

日本酒の飲み過ぎで、もう、べろんべろんです。

 

さて本日のお題はこちらです。

  

 

解題――リーガルマインド・アグレッション・テキスト(LAT)

 

 

1.作品概要

私たちはLeagal Assult Team=L.A.T.

単なる法律相談部ではありません。私たちの周りに存在する法的問題と正面から戦う集団よ!

 

平凡な高校生活を送るはずだった団藤法助は、ソーシャルゲームに嵌って親のクレジットカードを遣い込んでしまったばっかりに、校内でもヤバイと噂の法律相談部(LAT)に関わってしまう。

LATは法律相談部として登録されているが、その実態は法律を武器に戦う変人集団だった!

不当利得の返還、未成年者の行為取消、即時取得・・・でも多分中身は高校生の部活ラブコメです。

 

 

2.法律をテーマにした異色のライトノベル

職業モノというジャンルがありますが、本作品は、法律をテーマに扱っています。法律といえば、身近なところでいえば道路交通法に始まり、民法、刑法、などなどいろいろとあり、大学の法律学概論を受講しているような、そんな気持ちを懐かしく感じました。

 

作品の舞台は、島根県松江市ということで「どんだけローカルなんだよ!」ってツッコミを入れずにはおれませんでした。以前、出張の関係で何度か足を運んだことがあるのですけれど、本当によく雰囲気を再現している。松江あるあるネタがゴロゴロしている。本当に松江好きなんだね・・・鳥取県にチクるぞ

 

ええと、話がそれました。戻します。

 

本作品の舞台は、高校であり、そこで法律について学び実践する、いわゆるSOS団よろしく謎の部活動が、主軸になっています。彼ら彼女らは高校生という立場ではありますが、やっていることや目指していることは、ほぼ現実世界の弁護士だと言えるでしょう。

 

さて、特定のジャンルモノを扱うに際して、一番の躓きの石でありながら、一番の醍醐味でもあるのが、「どこまでその専門性を反映させるか」という古くて新しい問題です。

 

以前、『りゅうおうのおしごと!』というライトノベルについて触れたときに述べましたが、専門性が高過ぎると一般的な読者には理解されませんし、理解されるべく文字数を割いたとしても、それについてゆく気力を呼び起こしにくくなってしまいます。

 

かといって反対に、あまりにも簡単にしてしまうと、その職業ならではの面白さが減ってしまいます。ディテールを欠いた描写だけだと、読んでてもピンとこないというか、「へえ、それで?」という気分にさせてしまう危険性がある。

 

ここでバランスをとればいい、と考えるのは悪手でしょう。もっとも面白くない職業モノを書いてしまう危険性があるからです。中間をとるというのは、一見すると大人の判断で一番妥当な気もしますが、裏からいえば、どちらの立場から見てもつまらない作品になるということでもあります。一般的な読者には読みにくいわりに、専門性がなくてつまらない。

 

だからひとまずは、どちらかに針を振り切ってしまって、正反対の極をどれだけ拾うことができるかと考えるのがいいと、私自身は考えています。そこの矛盾に身を晒して、ぐぬぬと汗をかいたぶんだけ、面白い作品になるというのは、おそらくあながち間違ってはいないのではないかと。(ここはじんたねの主観なので、異論反論は大いにあるのだろうとは思っているのですが、ひとまずはそういう前提で話を進めさせてください)

 

で、本作品はどうかというと、明らかに専門性の側に針が振り切っている。かなり噛み砕いて説明してくれていますが、その筆致が専門的知識に価値をおいていることは一目瞭然です。

 

 

3.法律を支えるのは人

では、読みにくくつまらないのかといえば、まったくそんなことはない。きわめて、有益なライトノベルです。

 

専門的知識に価値を置いている。さきほどそう言いましたが、ちょっと語弊のある表現です。もっと正確に言い直すと、私たちが法律というものをどう見るべきか。法律がどのように機能しているものなのか(憲法をのぞいて)。それを弁護士の視点から、幾重にもキャラを変えて、説得的に主張しています

 

ざっくりと言ってしまえば(ざっくり言っちゃいけないですけど)、作者の法律観――リーガルマインド――が、作品の全面に出ている。この引用文が、端的にそれを示しています。

 

「それに、法令上の問題だけじゃない。無責任に相談に興じてる間はいいが、当事者の争いに巻き込まれるってことは、他人の人生に関わるってことだ。説得だ交渉だと感嘆に言ってるが、要は人格と人格のぶつかり合いだ。お前らの判断がひょっとしたら当事者の人生をひっくり返すかもしれない。しかしお前らは責任を取れる立場にない。……そこを理解してやらないと、必ず失敗する。他人にも迷惑をかける。そういうことをよく考えておけよと、俺は言いたいわけ」(203ページ)

 

規則的に適応して、それで終わり。ということでは全然まったくない。法律は言葉であり、言葉は解釈であり、解釈は未来に開かれている。未来に開かれているからといって、おのずから法律が変化していくことはない。その扉を開いて奮闘するのは、いつの時代も、その時代に生きている人間たちの生々しい実践にある。そこで汗をかき、血を流して、涙しろ――かなりマイルドに書かれてはいますが、突き詰めれば、それが法律なのだと、その実践に身を投じるのが弁護士なのだと、主張されています。

 

 

4.ライトノベル=ライトなノベル?

言いたいことが真正面に据えられていて、私個人は、とてもおもしろく読みました。言いたいことが、かなり事前に練られていないと、書き手にとっても主題というものは見えてこない。書きながら考え、考えながら書き続ける。たんに物語を収束させること、あるいはエンターテイメントとして追求すること、それらだけを考えていては、この優れた筆致にはならないでしょう。

 

ここは好みが分かれると思います。

 

人によっては重たさとして感じられるからです。つまりライトではない。これは文体や分量を変えたところで、根本的には消えない重たさでしょう。言いたいことが込められているということは、それと意見をことにする人にとっては、必ず、抵抗感をもたらすからです。

 

言いたいことから書かれたライトノベルがある、というのはだからとても珍しい。いや、こう言うべきでした。自分の言いたいことを、かなり言語化したうえで作品に落とし込んでいる作品は珍しい、と。このこと自体に、大きな価値があると思っています。

 

そして身近でありながら遠い、法律をテーマにしてくれている。読みながらリーガルマインドを理解するには、とてもいい。とてもいい(大事なことなので2回書きました)。

 

 

5.おわりに

本作品、現在では2巻まで出版されております。個人的には、言いたいこと先行型のライトノベルがもっとあったっていいと思っています。きっと書き続けることで、作者の意識も先鋭化し、さらに面白いものが生み出せるようになる。そんな期待を抱きながら、じんわりとした読後感を味わいました。

 

・・・鹿園寺先生、もっと書き続けてもいいのよ?

(文責:じんたね)

 

さて、次回作はコチラ!

大陸英雄戦記 1 (アース・スターノベル)

大陸英雄戦記 1 (アース・スターノベル)